1
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 10:44:39.44 ID:k8JdZM8h
61
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW de65-2873)
2023/01/28(土) 10:53:13.37 ID:725a984506-40c4-ae45
おっそ
62
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ efaf-1445)
2023/01/28(土) 10:50:31.94 ID:15ef5cf807-0ce1-a6cb
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
63
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 4b0a-289b)
2023/01/28(土) 10:50:31.95 ID:1587379c17-3eb0-fe76
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
64
それでも動く名無し@転載禁止 (スプッッ Sd58-8d9b)
2023/01/28(土) 10:50:31.97 ID:d549bd05d0-1c9a-8b6a
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
65
それでも動く名無し@転載禁止 (スプッッ Sd95-7093)
2023/01/28(土) 10:50:32.01 ID:9e49bd65d0-9213-6917
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
66
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ b2c6-9ab2)
2023/01/28(土) 10:51:53.56 ID:a78fd70403-25b8-3902
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
67
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 6592-bd86)
2023/01/28(土) 10:51:53.27 ID:1587379c17-c364-9fd0
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
68
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 7621-f275)
2023/01/28(土) 10:51:53.43 ID:15ef59f807-13b8-e926
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
69
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 9a29-347b)
2023/01/28(土) 10:51:53.24 ID:4050e5f409-a168-782a
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
70
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 13f2-819d)
2023/01/28(土) 10:54:43.54 ID:bad904f312-4017-2299
あとたった930で埋め立てられるぞ手動で頑張れよw
71
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 126d-a2f7)
2023/01/28(土) 10:51:53.76 ID:a78f310403-f31e-8ec0
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
72
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 1040-294c)
2023/01/28(土) 10:51:53.20 ID:a78f2d0403-0c62-1549
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
73
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 2eee-e80d)
2023/01/28(土) 10:51:53.16 ID:1587379c17-c815-0fb7
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
74
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 5523-6078)
2023/01/28(土) 10:51:53.56 ID:15efb7f807-cbfa-218d
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
75
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 8f8c-27a6)
2023/01/28(土) 10:55:44.19 ID:ba13012a02-3718-06d6
ほんまに遅くて草
76
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 4cf0-1aea)
2023/01/28(土) 10:51:53.26 ID:40502af409-06c5-580c
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
77
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 5a30-092a)
2023/01/28(土) 10:53:47.26 ID:1587379c17-f1a7-c201
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
78
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ d103-292d)
2023/01/28(土) 10:53:49.98 ID:4050d3f409-a0d3-d7f3
おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってるのを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つまってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじでありまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切がいせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれつするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起たち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。どうせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろうするような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面かおをしている。
しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」
妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味きびだ。
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなかへ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。
79
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 458b-b146)
2023/01/28(土) 10:53:50.35 ID:1587379c17-1246-07a4
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びんぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばまで来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構えているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずると、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うような面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかりの狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなきがごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたんに、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶらつかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方はちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふんぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んでしまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからご免蒙めんこうむった。
湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんをかけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちんに汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情ないだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事をしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまかしたり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えてもあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ばけものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つある。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出した踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。
80
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 01fa-5d74)
2023/01/28(土) 10:53:52.73 ID:a78fc00403-3e42-c6ed
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
81
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 6854-e6d2)
2023/01/28(土) 10:53:58.43 ID:1587379c17-da27-74f8
おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってるのを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つまってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじでありまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切がいせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれつするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起たち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。どうせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろうするような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面かおをしている。
しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」
妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味きびだ。
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなかへ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。
82
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ a856-0cd6)
2023/01/28(土) 10:53:58.91 ID:405010f409-1e7d-26cd
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
83
それでも動く名無し@転載禁止 (ラクッペペ MM5c-5a50)
2023/01/28(土) 10:57:36.59 ID:32173e10M5-8ea3-819a
FAXってハゲてるから知能も低いんやろ?
84
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW b9dd-8dc9)
2023/01/28(土) 10:57:48.30 ID:7e9f589517-0e2e-96f6
なんで手動でやってるんや?
自動にすればいいのに…
85
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 4064-60d4)
2023/01/28(土) 10:53:59.44 ID:1587379c17-7250-9d8f
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びんぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばまで来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構えているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずると、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うような面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかりの狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなきがごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたんに、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶらつかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方はちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふんぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んでしまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからご免蒙めんこうむった。
湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんをかけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちんに汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情ないだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事をしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまかしたり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えてもあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ばけものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つある。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出した踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。
86
それでも動く名無し@転載禁止 (スプッッ Sd4d-2d5e)
2023/01/28(土) 10:58:05.97 ID:09483f5bd4-5b92-0096
長文表示されないからめっちゃスッキリ見えるわ
87
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 7108-26fd)
2023/01/28(土) 10:54:00.33 ID:1587379c17-1b0c-b5ce
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
88
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 6af0-1b28)
2023/01/28(土) 10:54:00.57 ID:40506ef409-28b6-e5a0
おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってるのを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つまってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじでありまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切がいせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれつするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起たち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。どうせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろうするような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面かおをしている。
しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」
妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味きびだ。
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなかへ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。
89
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 087a-8481)
2023/01/28(土) 10:54:01.15 ID:a78fe80403-50a8-d982
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
90
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 7852-27a6)
2023/01/28(土) 10:58:55.76 ID:348d1dfa13-c4ea-06d6
テスト
91
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 5810-d592)
2023/01/28(土) 10:54:01.98 ID:40500af409-8a3e-126b
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びんぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばまで来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構えているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずると、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うような面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかりの狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなきがごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたんに、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶらつかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方はちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふんぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んでしまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからご免蒙めんこうむった。
湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんをかけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちんに汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情ないだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事をしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまかしたり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えてもあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ばけものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つある。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出した踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。
92
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 10:59:18.47 ID:5393610b0E-5692-5f66主
これ何やってるかというと速度で埋めれんから容量で埋めようとしてるんや
93
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 6a90-6344)
2023/01/28(土) 10:54:02.71 ID:15efdcf807-5b10-ef19
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
94
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 9dea-e348)
2023/01/28(土) 10:59:45.48 ID:624b436b12-a48e-2c21
FAXの場合って氷河期だろうがなんだろうが就職出来へんやろ
こんなガイジ会社が雇うわけないやん
だって車の免許すら取れんやつやで?
95
それでも動く名無し@転載禁止 (スプッッ Sd51-d626)
2023/01/28(土) 10:54:03.62 ID:098dbd70d0-f05a-02cb
おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってるのを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つまってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじでありまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切がいせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれつするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起たち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。どうせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろうするような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面かおをしている。
しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」
妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味きびだ。
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなかへ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。
96
それでも動く名無し@転載禁止 (スッップ Sdbb-dd10)
2023/01/28(土) 10:59:57.10 ID:fe6159badB-e1ad-f190
てす
97
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ a248-366b)
2023/01/28(土) 10:54:03.80 ID:40500af409-9f48-f53b
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
98
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 63f1-ad7e)
2023/01/28(土) 10:54:05.02 ID:15efc1f807-36b8-94fe
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びんぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばまで来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構えているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずると、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うような面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかりの狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなきがごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたんに、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶらつかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方はちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふんぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んでしまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからご免蒙めんこうむった。
湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんをかけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちんに汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情ないだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事をしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまかしたり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えてもあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ばけものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つある。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出した踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。
99
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 0703-0728)
2023/01/28(土) 10:54:05.17 ID:1587379c17-ae24-2781
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
100
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイW 6f83-128d)
2023/01/28(土) 11:01:02.56 ID:a2da7aad1D-b1f6-bf54
今高校生ですら免許とれるのに…
101
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 0358-8326)
2023/01/28(土) 10:56:18.54 ID:4050b7f409-345e-81c5
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
102
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:01:25.89 ID:5393610b0E-5692-5f66主
!SETTING:BBS_JP_CHECK:1
103
それでも動く名無し@転載禁止 (ワッチョイ 5e30-efa9)
2023/01/28(土) 10:56:18.49 ID:a78f840403-e53a-6c58
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
104
それでも動く名無し@転載禁止(兵庫県) (ワッチョイW 4601-27a6)
2023/01/28(土) 11:01:43.55 ID:5297a5ee0A-abe1-06d6
あれ?おかしいな?
105
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sdb4-543d)
2023/01/28(土) 10:56:18.50 ID:b7f7bd05d0-56b0-60e3
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
106
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スププ Sd23-8fc6)
2023/01/28(土) 11:01:49.58 ID:f45a8501d2-de1c-d35d
書き込める文字数も制限出来ればいいのにね
107
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW bd3c-c9cb)
2023/01/28(土) 10:56:18.61 ID:1587379c17-7654-bf62
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
108
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイ b255-7116)
2023/01/28(土) 10:57:36.13 ID:a78f210403-3120-a584
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
109
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 0d22-153e)
2023/01/28(土) 10:58:14.30 ID:1587379c17-5169-58e0
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
110
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 509d-4b01)
2023/01/28(土) 10:58:46.35 ID:1587379c17-3a05-a874
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
111
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:03:19.15 ID:5393610b0E-5692-5f66主
やっぱ海外は止められとるな
112
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd70-d8fb)
2023/01/28(土) 10:58:46.59 ID:67f7bd70d0-d83a-ced7
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
113
それでも動く名無し@転載禁止(神奈川県) (ワッチョイW 3db1-8bc2)
2023/01/28(土) 11:03:25.20 ID:8488083c09-ca87-2246
mateだと長文NGあるけど焼け石に水やな
114
それでも動く名無し@転載禁止(兵庫県) (ワッチョイW 4601-27a6)
2023/01/28(土) 11:03:40.08 ID:5297a5ee0A-abe1-06d6
!NGword:赤シャツ
これいける?
115
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd6a-8489)
2023/01/28(土) 10:58:46.59 ID:578dbd70d0-1e9c-fa49
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
116
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイ a379-fce6)
2023/01/28(土) 10:58:46.88 ID:a78f8a0403-1683-7e16
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
117
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 4005-3a2f)
2023/01/28(土) 10:59:59.52 ID:1587379c17-e823-643f
>>92 もう607kbだけど、どうする?
3chは実況系板は1024kで止まってしまうぞ🤪
118
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ a309-0887)
2023/01/28(土) 11:00:06.25 ID:40506ef409-a2ce-850d
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
119
それでも動く名無し@転載禁止(神奈川県) (ワッチョイW 3db1-8bc2)
2023/01/28(土) 11:04:42.53 ID:8488083c09-ca87-2246
120
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 2e46-01ae)
2023/01/28(土) 11:00:06.45 ID:1587379c17-c87e-03ca
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた
野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない野だは時々山嵐に話しかけるが山嵐は一向応じない
唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子とうなすのうらなり君が来ていないおれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないがこの人の顔を見て以来どうしても忘れられない控所へくればすぐうらなり君が眼に付く途中とちゅうをあるいていて唐茄子
会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で平常は食堂の代理を勤める
121
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:04:47.28 ID:5393610b0E-5692-5f66主
>>114 たしかNGは今死んでた記憶がある
一昨日くらいは生きてたんだけど
!NGword:赤シャツ
122
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイW b96b-ad7c)
2023/01/28(土) 11:05:18.39 ID:34c358cf13-0070-af52
今NG死んでるんよな
123
それでも動く名無し@転載禁止(神奈川県) (ワッチョイW 3db1-8bc2)
2023/01/28(土) 11:05:24.25 ID:8488083c09-ca87-2246
124
それでも動く名無し@転載禁止(宮城県) (ワッチョイW 4b80-53b5)
2023/01/28(土) 11:05:33.95 ID:14a5e1da0C-8ae0-fcdb
おらおら埋め立ておせーぞ
125
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd39-14f0)
2023/01/28(土) 11:04:27.25 ID:2d8dbd65d0-2783-0f81
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
126
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd66-3178)
2023/01/28(土) 11:05:39.95 ID:7f49bd70d0-0394-07c5
あ
127
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイW 7852-27a6)
2023/01/28(土) 11:06:11.00 ID:348d1dfa13-c4ea-06d6
草
128
それでも動く名無し@転載禁止(愛知県) (ワッチョイ 062b-44aa)
2023/01/28(土) 11:06:18.64 ID:7214bdb716-2790-3aa1
!SETTING:BBS_JP_CHECK:3
これで県名だけじゃなくて市もでるで
129
それでも動く名無し@転載禁止(愛知県) (ワッチョイW de65-2873)
2023/01/28(土) 11:06:29.41 ID:725a984506-40c4-ae45
身長もない髪もない、やれることは手動でポチポチスレ埋め立てだけのちびび
130
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 5387-4ca3)
2023/01/28(土) 11:05:02.59 ID:1587379c17-0af2-956b
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
131
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:07:21.11 ID:5393610b0E-5692-5f66主
>>128 まあこれはどっかvpn通してるだろうから海外弾いてるかみたかっただけやな
132
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイ 64a3-cf22)
2023/01/28(土) 11:05:03.81 ID:a78f700403-2849-795c
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
133
それでも動く名無し@転載禁止(兵庫県) (ワッチョイW 4601-27a6)
2023/01/28(土) 11:07:39.82 ID:5297a5ee0A-abe1-06d6
NGワード機能使えないのか…
134
それでも動く名無し@転載禁止(やわらか銀行) (ワッチョイ 74ea-2a4d)
2023/01/28(土) 11:07:23.25 ID:15ef1ef807-8b4a-9be7
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
135
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd13-1ad2)
2023/01/28(土) 11:05:04.04 ID:438dbd05d0-c547-2be0
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
136
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW e263-e83b)
2023/01/28(土) 11:09:09.55 ID:7e80e49317-65c5-bdba
漱石も使ってんのかよ手動スクリプト
137
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 7b3a-7bf3)
2023/01/28(土) 11:05:04.09 ID:1587379c17-c537-2bce
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
138
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイW 7852-27a6)
2023/01/28(土) 11:09:27.69 ID:348d1dfa13-c4ea-06d6
今回先行用の継承ってつぼみだけあればええか?
139
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ 12ae-4aed)
2023/01/28(土) 11:09:54.57 ID:405068f409-eca7-fe17
>>128 愛知ガイジは鼻ゴミスレに帰れよ
そんなことしたら県名偽造がバレるからあきまへんで
140
それでも動く名無し@転載禁止(兵庫県) (ワッチョイW 4601-27a6)
2023/01/28(土) 11:10:16.32 ID:5297a5ee0A-abe1-06d6
夏目漱石のファンの皆様や夏目漱石、および関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに夏目漱石のイメージを著しく損なう表現は行わないようお願いいたします。
141
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ 5239-740b)
2023/01/28(土) 11:05:04.28 ID:405060f409-b374-e43b
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
142
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd35-b653)
2023/01/28(土) 11:09:59.58 ID:348dbd05d0-a69c-c7e9
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
143
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:11:07.31 ID:5393610b0E-5692-5f66主
!SETTING:BBS_JP_CHECK:3
144
それでも動く名無し@転載禁止(岐阜県 岐阜) (ワッチョイW a3ff-1707)
2023/01/28(土) 11:11:20.51 ID:04100ffe0C-f7f6-fb28
手動で必死こいてて草
145
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ c0b2-8500)
2023/01/28(土) 11:05:04.28 ID:4050a0f409-74bd-9f30
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
146
それでも動く名無し@転載禁止(愛知県 名古屋) (ワッチョイW de65-2873)
2023/01/28(土) 11:11:41.41 ID:725a984506-40c4-ae45
文字数で制限するコマンドってないの?
147
それでも動く名無し@転載禁止(福岡県 北区) (ワッチョイW 7397-4475)
2023/01/28(土) 11:11:54.40 ID:5393610b0E-5692-5f66主
そういえばなんでワイ福岡なんだろ
148
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ 1c46-11ac)
2023/01/28(土) 11:10:18.16 ID:405065f409-f17d-35ca
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
149
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイ fd3e-a706)
2023/01/28(土) 11:10:39.89 ID:a78f390403-93ea-90d7
1024じゃなくて5と同じ512kにしろよ上限を
150
それでも動く名無し@転載禁止(やわらか銀行) (ワッチョイ 54a2-e578)
2023/01/28(土) 11:12:01.04 ID:15ef80f807-b41e-4970
1024じゃなくて5と同じ512kにしろよ上限を
151
それでも動く名無し@転載禁止(高知県 高知市) (ワッチョイW 5ad8-27a6)
2023/01/28(土) 11:12:38.65 ID:3de40c8e19-fc33-06d6
消えてて草
152
それでも動く名無し@転載禁止(宮城県 郡山) (ワッチョイW 4b80-53b5)
2023/01/28(土) 11:12:44.64 ID:14a5e1da0C-8ae0-fcdb
何疲れとんねん
153
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ b036-6af8)
2023/01/28(土) 11:05:04.40 ID:40502cf409-2ab5-40fc
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
154
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd3d-6745)
2023/01/28(土) 11:12:06.13 ID:f2f7bd70d0-c60a-8e15
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
155
それでも動く名無し@転載禁止(茸) (スプッッ Sd60-3fb1)
2023/01/28(土) 11:13:13.10 ID:658dbd70d0-d9c8-c0a2
>>152 3G重いんだよゴミ
カキコに10秒もかかってイライランゴねえl
156
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ df04-2963)
2023/01/28(土) 11:05:04.49 ID:40507ef409-5f09-e8ac
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
157
それでも動く名無し@転載禁止(dion軍) (ワッチョイ 5951-9f37)
2023/01/28(土) 11:13:17.23 ID:4050a3f409-a582-e423
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
158
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 74d8-4193)
2023/01/28(土) 11:05:04.59 ID:1587379c17-2346-4a0f
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
159
それでも動く名無し@転載禁止(やわらか銀行) (ワッチョイ 042d-53e1)
2023/01/28(土) 11:05:04.73 ID:15efa3f807-5caf-c16b
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
160
それでも動く名無し@転載禁止(大阪府) (ワッチョイ ec93-afb6)
2023/01/28(土) 11:05:05.48 ID:a78fe80403-3b14-253c
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
161
それでも動く名無し@転載禁止(東京都) (ワッチョイW 63b2-587d)
2023/01/28(土) 11:05:05.50 ID:1587379c17-c0da-0f43
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
二
ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。