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【唐澤貴洋殺す】雑談★44【タバタ】 (1001)

35 がん患者さん 2016/09/05(月) 21:04:22.36 ID:ia6XPXXx0
ではここでTNK君の初々しかった頃の自己紹介を振り返ってみましょう



 9月13日に入所いたしました弁護士の田中一哉(たなかかずや)です。 生年月日は昭和44年4月3日。あと一日遅ければ4並びのキリ番だったのですが、それではあまりに縁起が悪かろうとの両親の余計な配慮から、予定日より一日早く、この世に生をうけました。 実家は東京都練馬区です。ここは23区内では比較的のどかな地域で、自然も豊富に残っています。自宅から10分も歩けば石神井公園という大きな公園があり、ボートに乗ったり、釣りをしたりすることができます。
また、区内には映画やアニメーションのスタジオ、マンガ家の住居などが多数あります。そのため、そうした作品の舞台になることも多いです。
最近では「よつばと!」というマンガの中に練馬のまったりとした街並みを見ることができます。お暇な方はぜひ読んでみてください。作品自体もとてもおもしろいですから。
学生時代はこれといって打ち込むこともなく、ただぼんやりと過ごしてしまいました。はじめは天文学者とか、航空宇宙関係の技術者とか、とにかく宇宙と関わりのある仕事に就きたいと思っていたのですが、
数学と物理の成績が「そんなことはできっこない」ことを教えてくれました。それでとりあえず潰しのきく商学系の学部に入ったものの、これが途方もなくつまらなくて、あっという間に重度の5月病に罹ってしまいました。
大学1年次の取得単位数はたしか8単位だったと記憶しています。本当によく4年で卒業できたものです。司法試験の勉強を始めたのは、大学を出て暫くしてからです。
まあ悪くても5年もやれば何とかなるだろうと軽く考えたのが大間違いでした。ふと気がつくと30歳をとっくに過ぎていて、もうニッチもサッチも行かなくなっていました。
今だから言えますが、もう死んでしまおうと思ったことも何度かあります。実行しなかったのはただ怖かったからにすぎません。こんな感じで、私はつい3年前まで社会の最底辺に居ました。
30過ぎで、無職で、しかも職歴無しだったのです。それが今、金ピカのバッジを付けて、時には「先生」などと呼ばれます。でも、いったい何が変わったのかな?と不思議に感じてしまいます。
少なくとも自分自身は何も変わっていないことを知っていますから。自分に対する評価は相変わらず「人生の落伍者」のままです。この評価は一生変わらないと思いますし、変える必要もないように思います。
私はこれからもずっと、落ちこぼれとして生きてゆくつもりです。
そして、同じように落ちこぼれた人たちの手助けをしたいと思います。私のような人間が司法試験に受かり、「おおいた市民」のような事務所に就職できた。
この奇跡に報いるには、それ以外に道がないと考えています。この文章を読む人の中に、私の考えに共感してくれる人が居てくれたら嬉しいです。また、かつての自分と同じように、暗闇の中で生きる人が居てくれたら嬉しいです。
もし、そんな人が居たら、いつでも訪ねて来てください。一緒に歩いて行きましょう。

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