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てすや (52)

45 だれとは言わんが 2017/09/24(日) 01:49:29 ID:yyIgG6Ps
「日本書紀」「先代旧事本紀」においては、スサノオは朝鮮半島にあった新羅のソシモリという地に高天原から天降られたとされ、
また、「古事記」においては「三韓征伐」を成し遂げた神功皇后は、新羅より渡来した天日槍の子孫であるとされている。
だが、これは「古事記」「日本書紀」にともに記述のある「三韓征伐」において、神功皇后の夫である仲哀天皇が朝鮮半島の存在を知らず否定した事と矛盾している。
スサノオの伝承を知る天皇家の人間であり、更に新羅から来たという天日槍の子孫である神功皇后を妻に持つ仲哀天皇が、朝鮮半島の存在を知らなかったというのは、
考えてみればおかしな話である。

「古事記」は、当時天皇以上の力をもっていたとされる藤原不比等の心証を損なわぬように記されねばならなかった。
藤原不比等の父である中臣(藤原)鎌足(或いはその父の御食子)は、実は新羅と同じく朝鮮半島にあったとされる百済からの帰化人であったのではないかとも言われており、
「続日本紀」などにはそれを示唆するともとれる記述が存在している。
私は鎌足は元々は三韓征伐の際に百済を統治するなどの為に百済に派遣されるかして百済人と婚姻し混血した天児屋根命の一族の者の子孫であり、
その縁で鎌足は日本に来た際に同じ天児屋根命の末裔の中臣家に養子として迎えられたのだと考えていますが、
もし鎌足や不比等、或いはその子孫である藤原氏が、今の韓国、朝鮮人やその血を引く者達のように民族的自負心を強く持っていたのならば、
「三韓征伐」自体を否定できないのならそれを行った神功皇后は元は自分達と同じ民族だったと捏造しようとしても不思議ではない。
百済ではなく新羅としたのは、内心嫌っている故に完全に自分達と同じとするのを嫌がった故であるとも取れる。
「古事記」口述者の稗田阿礼はおそらく「矛盾」という形で真実を隠し、そしてその目論見は、「日本書紀」にもこの「矛盾」が残っている通り成功している。
天日槍は本当はおそらく朝鮮ではなく、かつては同じ日本にあったが当時の大和朝廷とは違う国の人であったと私は考えている。

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