45 - 一般名無し質問者 2022/05/06(金) 11:06:19 ID:2qDvA6xU0
共和制といっても1931年に国王を追い出した体制が君主制復帰まで続いたわけではなく
8年間で本来の共和派は統治失敗と内戦で敗れ去っています
↑を打ち破って独裁政権を率いたフランコ自身が君主制復帰派だったので
1948年には王族を呼び戻して帝王学を教育しました
「立憲」制の部分ですが、フランコ自身は自分が姪になった後は専制君主制を構想しておりましたが
フランコ姪後即位したフアン=カルロス1世自身が時代の流れを読んで立憲君主制確立に力を注ぎました
↓蛇足かもしれませんがここから当職の見解です
恐らく統制力の高いフランコの目の黒いうちは従順にしてたものの、西側諸国との関係や国益を考えてフランコの遺志と異なる選択をしたと思われます
こういう経緯もあって元々人気が高かったフアン=カルロス1世ですが在位後半に自身や娘のスキャンダルが頻発し
王室支持率が落ちてしまい息子のフェリペ6世へ譲位をする羽目になりました
ボルボン朝復帰→次の王の代に革命というのが19世紀以来続いており王室の存在には他国ほど絶対感はありません
フェリペ6世も父前王からの私有財産相続拒否や姉から公爵位剝奪など支持率回復に躍起です
彼も今は脂がのっているので良い動きをしていますが20年30年後にどうなっているか
スムーズに王太子に譲位できる状況を整えられるかが勝負でしょう