53 - 一般名無し質問者 2021/07/12(月) 23:05:08.14 ID:QB7sIfBr0
そもそも学校教育の中での運動とは多かれ少なかれ子供に自己犠牲の精神を持たせることを期待されているものであり、かつての水分補給の制限や甲子園の熱中症など安全の軽視を敢えて黙認することが容認されてきました
その過程で生じた死傷者は美談としてある種英雄視させることで団結心を深めるだけでなく、責任を分散させることで安全基準の再検討を先送りにできるのです
例としては組体操の負傷者にクラスで手紙を書かせる、死者を出した部活での追悼としてのパフォーマンスを試合で求めるといったものがあるようです
学校教育というのはそれ自体が自衛のために高度に発達したシステムなので外部から圧力をかけようと思ってもそうそう変わるものではなく、例えば一番目の記事では学校側が保護者同士の意見対立を利用して組体操を正当化していることが紹介されています
https://toyokeizai.net/articles/-/83619?page=2
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1808/07/news043_3.html