学校の内情を語るスレ (358)

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315 - 一般名無し質問者 2022/11/20(日) 13:06:55 ID:qKfNB4Ak0

旧制高校で必読書とされた「三太郎の日記」の著者、阿部次郎について調べていたら、旧制京北中学出身とあるので調べてみた

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東洋大学(哲学館)を開校した井上円了によって1898年に開校した。明治時代には旧制第一高等学校への進学者数が府立一中(後の新制日比谷高校)や府立四中(戸山高等学校)に肉薄し、開成中学や麻布中学などの中堅進学校を上回ることもあった。(Muyopediaより)

昔は凄かったんだな
麻布や開成の躍進は戦後(とりわけ都立高校入試における学校群制度)で、事実ここでは「中堅」として紹介されているので、進学実績が上回ること自体はさほど驚くべきことではない
(ただし国民のほとんどが小学校までしか出ておらず、仮にその後の教育を望んだとしても経済的な理由から例えば傍系の師範学校のような選択を強いられた時代において「旧制中学」の価値は今よりも遥かに高かった)

いずれも生年月日を見ると揃いも揃って明治・大正、せいぜい昭和一桁生まれだが、著名な出身者の一覧を見ると学者や芸術家、士官や外交官、実業家など錚々たる顔ぶれだ

旧制一高在籍中に華厳滝で自殺し、旧制高校の教養主義の象徴にもなった藤村操の名も見られる

今は旧帝大除く国公立大が10人程度、GMARCH100人程度というまあパッとしない進学実績だがどうしてこうなった