1 - 一般職員 2016/04/17(日) 19:56:16 ID:4Y2JCWAc
『三・八事件』
三・八事件とは、平成27年(2015年)3月8日に在日艦国人の呉 毎佳(オ・メガ 通名:小関直哉)が、
兆海道で複数人の恒心教信者による集団暴行を受け、死亡した事件の名称である。
●事件の経過
平成27年3月8日早朝、掲示板の内容に立腹した呉(当時26歳)がこれを勝手に改竄、その経過を発見した
恒心教の信者が直ちに教団に報告、駆け付けた他の恒心教信者に囲まれた呉は為す術もなく、
その場で怒り狂った信者達から報復の暴行を受け、この時に受けた傷が元で息絶えた。
呉は死の間際に、「どうすればいいの…… どうすればいいの……」と呟いたという。
この事件に当時直面した住民の中には呉に手を差し伸べた者もいたが、直後に信者の暴行に荷担している。
●被害者の詳細
事件の被害者である呉は文学に秀でていたが、生前は評価されず、作品の多くは彼の死後に公開された。
その中で『結婚括弧仮 初霜之場合』という作品は、第三者によって有声化される程極めて著名である。
本籍地である百科(ベクワ)では王 無頼という名前で活動しており、独特の文才でその地に貢献していた。
●事件の評価
事件後も信者の手により、同じく在日艦国人の牟 莱路(モ・レノ)や柳 阿山(ユ・アサン)らが命を落としており、
呉の死を皮切りに、恒心教信者による在日艦国人の迫害が始まったとする見方が多数を占めている。
当時艦国人らの横暴に悩まされていた現地の住民には、後に続くこれら一連の流れのきっかけを作ったとして
この事件を肯定的に受け止める者が多く、恒心教が支持をより広げる足掛かりとなった。
●関連項目
白 奏治(ベク・ジュチ) …事件の被害者・呉の娘。
ジェルジェル …三・八事件の翌日に起こった三・九闘争の主犯。呉の親族という説がある。
ダーメデス・ヤーマン …駄目です