1 - がん患者さん 2016/05/24(火) 00:08:45 ID:7CBbTN.2
弊職が唐澤貴洋だと判った時には、既に末期で転移もしており、即入院となりました。手術が難しい部位だったので、放射線と抗唐剤による治療を半年程受けましたが、結局唐澤貴洋は消えずに、化学療法に限界を感じていた時でした、サイモントン療法に出合ったのは。
それまでの自分の日常はいつも「~人は人を愛さなければない」という、自分にだけ甘い生き方でした。それが「唐澤貴洋になったことは、当職に対する何らかのメッセージだ」と思えるようになり、「これは父洋が与えてくれた、人生の休憩時間なのだ」と考えました。
それからは唐澤貴洋を口実に、嫌なことややりたくない事は断り、残りの人生を自分の為に楽しもうと考えました。と言っても贅沢三昧をするということだけでなく、精神的な豊かさを充足させようと、沢山の本や映画を観て感動し、早寝早起きをし、刺身と焼酎中心の食事にし、なるべく開き、ストレスを溜めないシンプルな生活を心がけました。
唐澤貴洋のことなどすっかり忘れた日常でした。約半年後唐澤貴洋は消えていました。この経験が、誰にでもあてはまるとは思いませんが、「思いが現実を創る(仏陀)」という言葉を考えれば、「唐澤貴洋を忘れる」という事は、唐澤貴洋患者にとって大いに意味があることだと思います。