2 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2018/11/20(火) 21:15:49.24 ID:ARBepMFsi
午後八時、雨が降り始めた。疲れているけど素直に帰りたくない俺は、音楽を聴きながら意味なく六本木をぶらついて後悔した。あいつがいる。臆病者の俺はタクシーを拾ってその場から離れた。タクシーの窓を伝い落ちる雨粒は、あたりの光を吸い込んで流れ星になった。窓にうつる自分の卑小さがたまらなく嫌いだ。ステレオから俺の一番好きな曲が流れ出した。そういや、あのドラマが映画になったんだっけ、と考えながら耳を傾けた。
切々としたボーカルも、アウトロのピアノも、何万回聴いたって胸に迫る。溢れそうなまぶたを擦った。メッセージアプリを起動して、彼の送ってくれた文字をなぞり、返信を入力しては消し、入力しては消しを繰り返す俺は世界一ダサい。俺はダサいけど、せめて文字に頼るのはやめにする。タクシーを降りた後も、あの曲が耳の奥で流れ続けた。
「もしもし」
五コールのあと、彼は出た。出てくれるとは思わなかった、だって公衆電話だし、きょうび拒否している奴の方が多い。
「あ」
「どちらさま?」
「えっと……俺」
ああ、きみか、と彼は呆れたような声を出した。
「なにか用? なんで公衆電話なの」
「なんでもない。あの、ごめん」
「……別に気にしてない。で、なに?」
彼は用事を求めている。声を聞くのに用事が必要になってしまったことが悲しい。だけど俺のせいだ。
「昔、CD貸したじゃん」
「そういや、借りたままだったね。ごめん」
「あれ聴いてくれた?」
うん、と彼は言った。
「もう一回、もう一回、ってやつでしょ」
「そう。あれ、俺の一番好きな曲なんだよ」
「分かるよ。僕も好きだな」
「あのCD、お前にやるよ。……そんだけ。おやすみ」
電話を切ろうとしたとき、待って、と声がして、俺はまた受話器を耳に当てた。
「今どこにいる?」
「マンションの近く」
「今から返しにいく。三十分くらい待ってて」
「やるって言ったじゃん。別に、」
テレカは切れてしまった。さよならを言うことはできないまま、俺は自宅へ帰り、彼を待った。
三十分後、彼は本当に俺の家に来た。一ヶ月ぶりに見た彼はCDを持ってこなかった。持ってこなかった理由なんて、わざわざ聞かなくても分かる。
「ごめん」
今度こそ目を見て言った。彼は「泣くなよダサいな」と笑ってくれた。
彼の買ってきてくれた安いビールとつまみで乾杯して、たばこを吸って、テレビを見て、笑った。それは大学生の頃とまったく同じだった。さよならは言わなかった。
あの曲のタイトルは「花火」。
花火は夜空に美しく打ちあがり、何度だってきらめく、何度だって。