バロットの殻 (22)

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3 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/07/05(水) 13:02:59.03 ID:EBdoGlpT0

「今日俺ランチ終わったら上がりなんだ!あと五分くらいだから!待ってて!」
ウエイターの勢いに気圧された裕明は「はあ」とぼんやり返事をするほかなかった。嵐のような青年がテーブルを去ったあとも、裕明はぽかんとし続け、煙草の灰をテーブルに落とした。
五分経つと、先ほどの嵐は私服に着替えて裕明の目の前に座った。ラフなグレーのパーカーにジーンズだ。この方がずっと似合っている。彼は馬鹿でかい声で「アイココありで!あと伝票一緒にして!」とカウンターに向かって叫んだ。
「なんで僕と伝票を一緒にするんですか。奢りませんよ」
「ちげーよ、俺と一緒だと社割きいてお前も安くなんの。なあ、それよりさあ、俺のこと分かる?」
記憶をどうにか手繰り寄せたけれど分からなかったので、裕明はそれを正直に伝えた。青年は「なんだよー」と唇を尖らせたが、すぐ「俺、山本祥平!お前と同じ法学部!」と歯を見せて笑った。
「お前と結構講義被ってんのになあ」
「でも、話したことありませんよね」
「だってお前いっつも大学では殺気放ってんじゃん。話しかけづれーよー、でも今日はなんかぼーっとしてるから話しかけてみた」
「はあ、そうなんだ……」
話す気分ではなかった。殺気なんか放っていない、と弁解する気にもなれない。どうにか立ち去ってくれないか、と裕明は思案を巡らせている。ただ、適当に受け流しても、全く気に留めず勝手に話をしてくれるところは裕明にとって有難かった。
「ねえ、俺ずっと気になってたんだけどさ、お前すげーモテんじゃん」
「どうやら」
「俺の女友達もお前のこと好きらしいよ。でも全員振ってる、なんで?なんかの新記録狙ってるとか?」
肘をつき、前のめりになっている祥平に対し、裕明はなるべく素っ気ない言葉を選んだ。
「だって、好きじゃないから。思わせぶりなことして、期待させるほうが可哀想」
「そうかなあ、でもさあ一回くらいヤレ──」
「僕、ゲイなんだ」
すると祥平は、目をまんまるにした。長い沈黙の最中、祥平のオーダーしたアイココが運ばれてきた。アイスココアだった。
裕明は、……大丈夫だよ、きみのことを取って食ったりしないから。と付け加えるべきか迷い、俯いた。立ち去ってほしいから吐いた言葉にも関わらず。
目の前の青年は非常に喋り好きでやかましくはあったが、善人だ。少なくとも裕明の秘密を知って、それを言い訳に笑いものにするタイプではなかった。無闇に男の人を怯えさせるものじゃない──裕明は内省した。

ゲイというだけで避けられる。少なくとも裕明の周囲は、彼に対してそのような態度をとった。
自らの抱える違和感に耐え切れず両親に告白したあの日、母は泣いた。父はお前の育て方が悪かったと言って母をなじり、どこで間違ったのか、と悔しげに拳を握りしめた。
何か間違いがあるとすれば、僕が生まれたことだ、と裕明は思っている。あの日以来、父と母の関係は冷え切った。自分のせいだ。そう考えた彼にとって、自宅はもはや、裕明の居場所ではなかった。
それからは勉強とテストの点数だけが、彼の理解者になった。期待通りの成績が出せず裕明を落胆させることはあっても、父親やかつての友人のように、彼に悪罵を浴びせかけるようなことは、けしてしない。勉強は裕明を否定しない。裏切らない。そして、見捨てない。
それと同時に、裕明の心は牢獄のように頑なになった。心を檻に閉じこめ、ときに毒の矢を放つ。他人を遠ざけることが、彼の処世術になった。
「あ、あのさ」
「……何?」
「お前が言ってくれたから、俺も言うけど、あの……俺も、そう」
「きみもゲイなの?」
「ばっか、声でけーんだよ」
声の大きさについて彼に何か言われる筋合いはない。