103 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/08/17(木) 00:40:27.80 ID:MBYtwMkp0
「厚史に会えて涙が出りゅ!出りゅよ!」
弟がダチョウの姿で帰って来たその晩、父は弟を見て泣いていた。不思議なことに、父はダチョウを見てすぐに厚史と認識した。久しぶりの再会に動揺はしたものの、まるで弟がもとからダチョウであったかのように、家族としてダチョウを迎え入れた。
「僕もお父さんと会えて嬉しいです。昔から変わらず、元気そうで何よりです」
「厚史も厚史のままじゃ!」
父とダチョウが談笑している。頬をつねってみるが、どうやら夢ではないらしい。一体何を間違えればこのような場面になるのか。
「貴洋も遠慮しないで混ざりゅ!混ざりゅよ!」
「兄さん、今日くらいは弁護士バッジを取りましょうよ。せっかく久しぶりに会えたんです。色々と語り合いましょう」
遠慮はしていない。ただこの状況に憂慮しているだけだ。ダチョウに会ってから必死に思い出そうとしているが、やはり当職の中にダチョウの弟はいない。いるのは人間の弟だけだ。
「墓掃除で疲れたから先にお風呂に入るナリ。」
そろそろ頭が破裂しそうだったので、適当なことを言ってこの場を離れた。わかりましたという声を背中で聞き、その場を後にした。その声は紛れもなく弟だった。
バッジを外してスーツを棚にかける。そのまま褌一丁で脱衣場に向かい、風呂が沸いているのを確認すると、褌を脱ぎ浴槽に飛び込んだ。尻に鈍痛がはしり、耳に爆音が飛び込む。やがて体を温水が包み込み、辺りは水の音だけになった。
弟はよく当職と一緒にお風呂に入っていた。そしていつも飛び込みは止めなよと注意する。弟が入る前に飛び込んでも、辺りの飛沫を見て、悪いことは隠せないよと言われたものだ。今となっては遠い、二度と戻らぬ日常である。
「兄さん、入るよ」
くぐもった声がはっきりと聞こえる。水から頭を出し、顔についた毛を後ろにかきあげる。これで飛び込んだことはバレないはずだ。がちゃりと音をたて扉が開いた。ダチョウは取っ手を口ではさみ、器用に首を曲げて入ってきた。
さて、どうなる。こいつは飛び込みを見抜けるか。辺りには飛沫がついているが、水蒸気のそれとほとんど同じだ。よくよく見れば違いは分かる。しかし、厚史は風呂場に入ってすぐ指摘した。少しの猶予も許されない。ダチョウは扉を閉めた。鈍い音が響き、当職に尻が向けられる。わずかに揺れるそれが、弟の尻と一致する。思わず勃起した。あの白桃を味わいたいと思わなかったことは一度もない。扉に向けていたか細い足のうち、左足を外側に半回転させ、つられて胴体もゆっくりとこちらに向き合おうとしている。尻は羽に隠れて黒い楕円になり、その楕円からまるで発芽するように白い棒が伸び、先端のオレンジ色が徐々に姿を現す。黒い楕円は最大になった。左端からは白い棒と、先端にオレンジ色のくちばしがついている。目は閉じられたままだ。厚史もそうだった。瞳が開くときは判決が下るときだ。水を踏み足を整える。楕円は真円となり、中心から白く細長い一物がそびえ立つ。丸く膨らんだ頭の左右斜め上。両目がゆっくりと開かれる。そして、くちばしが二つに割れた。
「……兄さん、また飛び込んだんですか。もう大人なんですからやめましょうよ」
「厚史」
当職は弟の名を呼んだ。記憶にある厚史にではなく、ダチョウに呼んだ。頭の奥で、何かが壊れる音がした。
「それでは、お休みなさい」
「お休みナリ」
風呂から上がったあと、夕食のとき出来なかった談笑をした。厚史のことや当職のこと。母のことや父のこと。話題は尽きることなく溢れ出て、いつまでも話せる気がした。やがて父が酔いつぶれ、いつものように厚史と介抱して床についた。
厚史がダチョウの姿であることには誰も触れなかった。触れてしまえばこの日常が壊れそうで、厚史がいなくなりそうな気がしたからだ。いつしか記憶の厚史もダチョウになり、人間の厚史はいなくなった。
翌朝家族で写真を撮った。数十年ぶりの家族写真だ。写真は部屋に飾られると共に、アルバムの最初の写真になった。それまで入っていた写真は黒いゴミ袋に入れ捨てた。空白のアルバムが何冊も増えたが、まもなく思い出に彩られるだろう。
厚史は帰って来たのだ。