水蛇 (39)

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1 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:48:21.99 ID:cNTlGSU20

 12

「それで……」
 羽のように柔らかい指は、僕の唇を触り、鎖骨をゆっくりとなぞって下腹部に降りた。
「きみは、人の命を奪ってみたいと思ったことがあるかね」
 かぶりを振る。
「殺したいほど誰かを憎んだことは?」
 頷く。
「そうか。では殺したいほど愛したことは?」
 よく意味が分からず、首を傾げた。僕は言葉を発しない。この甘美な静寂を乱していいのは、目の前の老紳士だけだ。
「じきに分かるようになる」
 紳士はMと名乗った。でもきっと偽名だろうと、そのときの僕は思った。
 Mさんは、マデイラワインの複雑で官能的な味わいのことや、フランスで出会った男娼のこと、快楽と殺人欲動の関係性、様々なことを話しながら、たっぷり時間をかけて僕の服を脱がした。
「私はね、未完成の若者が好きなんだ。きみのような美男子は特に好きだ」
 耳元で囁く彼の声に身体が麻痺する。甘く、ゆったりとしていて、聞いていると朦朧として意識が遠ざかる。ついに裸にされ布が床に落ちたとき、「ああ……」と熱いためいきが漏れた。

 僕が大人でも子どもでも無かった頃、ミュージシャンが自殺して、原子力事故が起こり、ビルに飛行機が突っ込んで、後ろ向きなSFアニメーションが社会現象になった。僕はといえば親の期待に応えるため勉学に励む裏で、陰鬱なロシア文学に傾倒していた。
 こんなふうにして作られた僕はやがて大学生になった。Mさんに出会ったのは二年の秋、雨の夜に終電を逃して、惨めな気持ちで膝を抱えていたときだ。
 凍えながら死にたくはなくて、とにかく屋根のある場所に行きたかった僕は、付いてきなさいという老紳士の後を歩いて行った。行き先は案の定ホテルだったけれど構わなかった、僕はそういう人間だから。
「罪を犯してみたくなったらいつでも連絡しなさい。悪に身を落として繁栄を選ぶのも、正義を貫いて不幸の道を歩むのも、全てきみの自由だ。今しかない愚かさを楽しむといい。私は喜んで、その手助けをしようとも」
 Mさんは別れ際に名刺とお金と、新しい仕事をくれた。彼は莫大な権力と財産を持った人間で、おそらくエロティシズムを追求する過程で人を殺したことさえあるのだろう。
 少なくとも表向きは品行方正に生きてきた僕にとって、社会の規範を外れることは、とても魅力的であるように思えた。

2 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:51:45.94 ID:cNTlGSU20

 11

 僕は権力のある人に守ってもらう必要がある。勝手に商売をすると怖い人に目をつけられるからだ。僕の新しい主人になったMさんのことを、次の日大学の喫煙所で会ったYくんに話した。彼は、僕のとった客の話をよく聞きたがる。
「変わった人だな」
 僕は友達を必要としない。だから友達はいない。たった一人、Yくんを除いては。僕に言わせてみれば、昨日のMさんと同じくらいYくんも変わっている。
 同学年の彼は明るくて誰からも好かれる人気者で、友達も多く先輩と恋仲にあって、既にたくさんのセックスフレンドがいる。それなのに、僕の客商売の噂を知って近づいてきた、本当に変な男の子だ。
 二人で初めてホテルに行った夜、Yくんは僕の首を思いきり絞めてきたので、僕は彼に恋をしてしまった。
 けれどYくんが僕に振り向いてくれる日は、きっと来ない。セックスのとき「好きだよ」と伝えたら、彼はひどく狼狽した様子で、まだ途中だったのに帰ってしまったことがあった。
 僕は自分の好きなところが二つだけある。誰かを心から愛せることと、その誰かが他の人間と寝ていても何とも思わないことだ。
「最近お前のこと見なかったけど商売繁盛してるってこと?」
「そうだね」
「ちゃんと大学は来いよ。留年したらどうすんだ」
「そのために稼いでるんだよ。知らなかったの?」
「ばか」
 Yくんは僕を小突いた。そしてじっと僕の目を覗き込んだ。僅かに笑っている。
「なあ……今日の夜空いてる?」
「……空けるよ」
「よかった。そしたらいつものとこで。じゃな」
 Yくんは行ってしまった。
 働いた後はYくんに会いたくない。Yくんと寝た後は働きたくない。客は暫く取らないことにした。

3 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:53:10.64 ID:cNTlGSU20

 10

 昔近くに住んでたお兄さんは、足が五百円、キスが千円、胸が千円、下が二千円と、こんな具合に値段をつけたので、自分が解体される肉牛になった気分だった。
 僕は家の倉庫やその人の部屋で、自分の身体を触らせた。
 身体を触る行為に何か楽しいことがあるのかと不思議だったけれど、お金をくれるから僕は抵抗しないでいた。ほんの数十分で僕は誰よりもお金持ちになる。
 お兄さんは下のあそこを舐めるのが好きだった。それをしながら自分のも触る。
 あの時の僕は当然あんまり勃起もしないし何か出たりすることもなかったんだけれど、神経がびりびりと熱く痺れて気持ちよかったのが一回だけある。
 ある日お兄さんは、僕を布団に横たわらせて言った。最後までさせてくれたら一万円あげる。「最後ってどういうこと?」と聞き返したら三万円もくれて、僕は最後とはなんなのかを知った。
 そのお兄さんは僕にいたずらをしていたことがバレて父に殴打されて以来、姿を見なくなった。次の春くらいに大学生になり東京へ行ったと噂を聞いた。
 あの人とはもう会えないけど僕は、自分の肉体が金になるんだって、覚えた。

4 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:54:34.13 ID:cNTlGSU20


 9

 夜、少しだけ飲んでホテルに行った。終わってからYくんは、僕の名前を呼んだり頬にキスをしたり甘えてきて可愛かったのに、はっと夢から覚めたように起き上がって「帰る」と言った。
「……朝までいたらいいのに」
「明日の予習がある」
「真面目」
「不良のお前と違ってな。なあホテル代ちょうだい。割り勘だぞ」
 財布から五千円札を出して彼に渡した。ドアの前の精算機はガタガタ音を立てながら札を二枚吸い込んだ。
「ねえ、そのMさんって人の話だけどさあ」
「うん?」
「お前が誰か殺したくなったら俺も呼んでよ」
「どうして?」
「だって、その後お前とやったらすげえ燃えるでしょ、絶対。ついでにお前のことも殺しちゃうかもしんない」
「……。わかった、いいよ」
「よかった。じゃあまた連絡する。な、明日もちゃんと大学来いよ。俺ほんとに心配してんだぜ」
「うん。おやすみ」
 Yくんは僕にキスをしてから、背を向けて部屋を出て行った。足音は遠ざかり、ベッドは次第に冷えていく。僕は目を閉じて、彼に首を絞められたときのことを思い出していた。彼に殺してもらえたら、どんなにいいだろう。
 その夜、蛇の夢を見た。白い蛇の頭が二つに割れて、鋭い牙でお互いを喰らい合っていた。

5 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:57:14.49 ID:cNTlGSU20

 8

 Mさんの与えてくれる仕事はどれも割りが良い。Mさんは貰ったお金の殆どを僕にくれた。
 医者、政治家、政治家、作家、教師、画家、政治家……僕の客は身なりの綺麗な金持ちばかりになって、その代わり変態も増えた。
 僕に官能小説を朗読させながら自慰に耽る男、僕の排泄を見たがる男(もちろん拒否した)、様々だったが、唯一不愉快だったのはKという男だ。
 なんでも良家の長男らしいが、醜く太っていて人と目を合わせることができず、よくどもった。僕は自信のない男が大嫌いだ。この卑しい豚はまるでセックスの仕方を知らない。ぎとぎとした手で僕に触り、股ぐらに顔を突っ込んで何時間も舐めている。
 Kの間抜け面を蹴り飛ばしたい衝動を堪えるのは苦痛だ。不機嫌なのを隠そうともしないでいたら、豚はマゾヒストなのか、鼻息荒く発情して自分のものを扱き始めた。
 粗末な陰茎を踏みつけてやると更に興奮して、ぶるっと震えたあと僕の足の裏をべとべとに汚した。
「……汚い。舐めて」
 Kは少し躊躇った。僕だって自分の精液なんか舐めたくないけれど「早くきれいにして」と強く言うと彼は従った。舌のざらつきにゾクゾクする。
 全部舐め取られた後は醜い顔を踏んで潰してやった。豚をいじめるのが楽しくなった僕はいつの間にか勃起していた。
 このKという男は、のちに僕の一番の上客になる。

6 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:58:20.69 ID:cNTlGSU20

 7

 季節が変わり、大学は冬休みに入った。
 課題をこなしているとき、Yくんが僕の家にやってきた。
「よっす。あけおめ」
「何言ってんだよ……」
「今年もよろしく」
 ニッと笑ったYくんが「なあ、腹減らね?」と言うので、僕はコートを着て街に出た。
 イルミネーションのきらびやかな駅前で彼と食事したあと、ホテル街に向かった。今日はどこもいっぱいで、日本人もやることやってんだなとYくんはげらげら笑う。
 ようやく見つけた部屋で、シャワーを浴びながら求め合った。
 Yくんは年末年始は実家に帰らず、恋人と過ごすらしい。身体を拭きながら、あんまり気乗りしない様子でそれを僕に伝えた。
「俺、先輩のことすごい尊敬してるんだ。あの人は本当にかっこいいし憧れてる。でもなんつーかさ、一緒にいると寂しくなる」
「どうして?」
「だって住んでる世界が違うもん。お互い本質的には分かり合えないよ」
「そうかなあ……」
 二人とも光り輝く世界にいるように思える。暗い僕には眩しすぎるくらいだ。
「でも一番意味不明なのはお前。頭いいけど馬鹿だし、ノーマルなのか変態なのか、普通なのか狂ってんのか分からない。どっちもなの? それって変だろ。お前のこと全然分かんない」
「……きみは僕を分かりたいの?」
「別に。いいやもう。もう一回やらせて」
「うん」

7 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 17:59:31.61 ID:cNTlGSU20

 気持ちのいいことは好きだ。抱きしめあって、たくさんキスをしていれば、考えるのを放棄できる。僕だってYくんのことが分からない。知りたいことはたくさんある。なんでクリスマスを大好きな先輩とじゃなくて僕と過ごすの、とか。
「俺さ、割と潔癖な方なんだ。だから他のと寝てもキスだけはしたくないんだよね」
 ……なんでそんなむごいことを言うの、とか。
 Yくんとのセックスはとても淫らだ。キスだけで身体中がとろける。この陶酔感や多幸感は、相手がYくんのときしか味わえない。僕は彼と寝るたびに愛情の偉大さを知る。
 涙を流して乱れる僕しか見せられないのは残念だ。彼は僕を淫乱だと思っているだろう。しかし僕は、客相手に無反応で怒られたことさえあるのだ。
 事務的に仕事をこなす僕を見せられたら、どれだけ彼を愛しているか知らしめることができるのに。
 僕はYくんの匂いを嗅いだ。今は石鹸の匂いだ。Yくんはいつもいい匂いがする。僕は、彼の汗の匂いが一番好きだ。でも僕にはこの匂いを独占することができない。
 Yくんは僕を抱くとき必ず首を強く締める。意識が遠くなり、死を感じる。死は快楽だ。この快楽だけは、何にも代えがたい。

8 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:00:59.77 ID:cNTlGSU20

 6

 白い蛇の夢を頻繁に見る。
 はじめ一つだった蛇の頭がいくつかに裂ける。二つのときもあれば、五つのときもあった。あれは普通の蛇じゃない。化け物だ。化け物はいつも牙を剥いて、他の首を喰らう。
 夢は、僕の無意識は、日に日にエスカレートしていった。蛇の目は恐ろしい。逃げたくても逃げられず、鋭い牙に噛みつかれそうになった夜は汗だくになって目を覚ました。
 眠ることが恐怖に変わる。睡眠時間を極端に減らし、増えた時間は勉強をしているか、誰かとセックスをしていた。
 無意識に棲む化け物を飼い慣らすのは非常に難しい。常に寝不足で目の下にクマを作っている僕をYくんは「エロい」と言った。「病院行った方がいいぜ」とも。
 病院には行かなかった。年が明けてから、僕の不眠は意外な方法で解決したからだ。

 僕は年が変わったのが嫌だった。若さには価値がある。そしてその価値は生きれば生きるほど薄れていく。金持ちはみな年老いていて、そして若い男が大好きだ。
 老人でないのはマゾヒストのKくらいだろう。あれは僕と五つしか変わらない。僕は彼について気づいたことがある。あの惨めったらしい豚を虐待した夜だけ、僕はゆっくりと眠れた。
 Kを四つん這いにさせて、その上に座って見るテレビはいつもより愉快だ。だらしない身体を縛り上げて鞭で打つのは快楽だ。
 人格を否定されて情けなく射精した姿を嘲り笑うのはエクスタシーだ。奴を痛めつけるのは気持ちがいい。脳が真っ白になってガチガチに勃起した僕はオーガズムを得る。
 帰ってきてからは清々しい気分で八時間も眠る。こういうやり方で無意識をなだめてやらないと、僕の蛇はまたすぐ暴れ出すに違いなかった。

9 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:06:58.92 ID:sGj02l780

 5

 春が来て無事三年に上がり、僕とYくんは法学部に進んだ。ようやくやりたいことを学べるとYくんは喜んでいた。必要なものは全て一緒に買い揃えた。
 恋人同士だったら、買い物に出かけたときどんな会話をするんだろう。ふと立ち寄ったセレクトショップでおそろいの食器を買ったり、プレゼントを贈り合ったり、するんだろうか。
 人混みで手が少し触れたとき僕はどきどきして、手を握りたいのに逃げ出したかった。
 近頃のYくんは先輩とくっついたり離れたりの繰り返しだ。Yくんは「もう駄目かも」が口癖になっていたが、今度こそ駄目と言っても必ず元鞘に戻った。
「腹減った」
 人通りの少ない道を歩きながら彼はぼやく。
「僕の家来る?」
「料理出来んの?」
「一人暮らしだからね」

 僕がキッチンに立っているとき、Yくんは僕の部屋をうろちょろしていた。
「うわあマルジェラばっか」
「おい、人のクローゼット勝手に見るな」
 簡単な料理を振舞うと、彼は本当に美味しそうにすべて平らげてくれた。
「お前といると楽しい」
「僕も」
「な、俺たちもう親友だよな」
「そう思ってる」
 これは本音だ。
「……最高にゲイだけど」
 これも本音。
「いいね。"最高にゲイ"」
 Yくんは僕の頬に手を添えて思いっきりキスをした。

10 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:09:18.76 ID:sGj02l780

「俺ね、お前と一緒に卒業して、一緒の院行って、一緒に試験合格して、司法修習も一緒に受けて、いつか一緒の事務所で働けたらいいと思ってる。本当だぜ」
 五年後、十年後の彼の未来に僕がいるのに、なぜ恋人としてじゃないのか考え僕は悲しくなる。僕の気持ちを知らないYくんは無邪気に笑った。
「お前来月誕生日だろ。何ほしい?」
 きみの恋人になりたい。
「僕……何もいらないや」
「なんでよ? 自分で買えるから? うわあ、やだね、金持ちってやつは」
 彼は笑いながら僕を抱きしめてベッドに運んだ。
「Yくん、今の僕に必要なものが分かったよ。コンドームだ」

 4

 誕生日の前日、突然「話があるんだけど」と僕を呼び止めたのはYくんの「先輩」だった。
 キャンパス内のコミュニケーションスペースで僕と向き合った「先輩」と向き合うのは胃が逆流するほど居心地が悪い。
 マグカップの中で揺れる液体を眺めていると「先輩」は、
「俺たち別れたんだ。もう知ってるか?」
 と言ってコーヒーに口をつけた。
「いえ……」
「じゃあこれは知ってるだろ? あいつが誰とでも寝るの。淫売のお前みたいに」
「いきなり何ですか」
「お前が憎いって話」
 顔を上げて先輩を見た。意外と首が細くて、両手で思い切り締めたらポキリと折れてしまうんじゃないだろうか。先輩は淡々と言う。
「俺は、今まであいつが何しようと干渉しなかった。色情狂を好きになった俺が悪いんだからな。でもお前だけは許したくない。お前、あいつとキスしたことある?」
「……はい」
「俺はないよ。笑えるだろ? セックスしてもキスは嫌がるんだ。他の奴はいい。でも、心まで奪ったお前のことは殺したいくらい憎い」
「誤解です。彼は僕のことだってその他大勢と同じで……」
「今見て分かったけどお前らは似てるし、あいつはお前に惹かれてる。分からないのか?」
 分からねえよ、クソが。
 今すぐこいつの首根っこを掴んで絞め殺してやれたら、どれだけ気持ちいいだろう。僕がどれだけ苦しんでいるか知らないんだ。僕はYくんに好きだと言うことすら許されない。手に入らないものを望んで、もどかしさに狂いそうになる夜を知らない。

11 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:11:23.52 ID:sGj02l780

「あいつは孤独なんだ」
「……」
「心の中に絶対に開かない場所を持ってる。お前もそうなんだろ? 可哀想な者同士、傷を舐め合って勝手に破滅すればいい」
 先輩は立ち上がり、どこかへ行った。テーブルの上にはぬるくなったコーヒーが二つ残された。

 先輩がいなくなったあと、僕は一人になりたかった。誰とも話したくない。俯きながら足を早めキャンパス内の園池に向かった。あそこは緑が綺麗で、いつも誰もいないから静かだ。
「あ」
 誰もいないはずの畔りに人影を見る。近寄るとYくんだった。座り込んでいた彼は振り向いて僕を見た後、すぐに視線を戻した。
「……隣いい?」
「うん、いいよ」
 Yくんの頬にはガーゼが貼られている。僕はそれをじっと見た。
「これ? 遊びすぎがバレて殴られた。へへ」
「……」
「なんだよ。笑えよ。遅かれ早かれこうなってたんだから」
 ふうう、とYくんは長い溜息をつく。
「悲しくないの」
「なに? お前は俺が可哀想か?」
「そんなこと言うつもりじゃ」
「じゃあやらせてよ。慰めてくれよ、この俺を」
 僕の肩を掴むYくんの腕を振り払う。
「やめてくれ。それじゃただの最低な奴だ」
「そうだ俺は最低だ。最低のクズ男だぜ。誰彼構わずやりまくっては捨ててんだ。
 自分がゲイだって知らなかったときに付き合ってたバカ女、孕んだとか言ってすがりついてきたけど迷わず堕ろせっつったよ! 金なら出すぜって! そしたらあいつ泣きやがった! ……どう? 軽蔑した?」
「しない。それ作り話だろ」
「……お前、マジで嫌だ」
 Yくんは涙を溜めている。
「俺がどうしようもないのは本当だよ。俺はあの人にひどいことをした。お前にも」
 彼はひざに顔を埋めてしまった。
「もう俺たち会うのやめよう。自分が何考えてるのか、分かんない」
「Yくん」
「一人にしてくれ……お願いだ」
「……わかった」
 なぜ上手くいかないのか僕には分からない。なぜ人と関わりたいと強く望みながら、それに傷が伴うのか分からない。Yくんは深く傷ついていた。傷つけたり、傷ついたりするのは、もう嫌だ。

12 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:43:21.57 ID:w0Fd3AQ40

 3

 こんな日に限ってKに会わなければならない。
 いつも通りKを縛るための縄を手に取ったとき、手が震えた。今から僕はKを痛めつけて、彼の尊厳を奪わなくてはいけない。
 Kを苦しめ、泣かせなければならない。苛烈な責めを受けていたときの苦悶の表情が蘇る。Yくんの涙を思い出した。
 ……僕にはできない。どうしても、できない。
 無意識に僕は「できません」と言っていた。震えている僕にKは首を傾げる。
「どうしてナリ?」
「……苦しいのは、誰だって嫌です。人を傷つけるのは、いけないことだ」
 涙が溢れてきた。
「じゃあどうして今まできみは私を痛めつけてきたナリか?」
「……」
「答えられないなら教えてあげるナリ。それはね、とっても気持ちがいいからナリよ。自分が一番分かっているはずだよね? 今更泣いても、きみのやってきたことは変わらないナリ」
 奇妙な威圧感を覚えた。それは、卑しい豚と蔑んできた彼から、今まで一度も感じたことのない恐怖だ。
 僕はただ「ごめんなさい」と繰り返した。Kは微笑む。そして僕の頬に流れる涙をやさしく拭った。
「きみも同じ痛みを味わってみるナリか?」
 そのとき、僕は全てを理解した。彼は、この瞬間のために豚に甘んじてきたのだ。
「さあ、おいで」
 衣服を剥ぎ取られ、陵辱された。

 2

 床にうつ伏せになったままぼうっとしている。全身が痛くて動く気が起きない。精液や排泄物、吐瀉物の悪臭にすら心が動かない。
 Kは僕を一晩中嬲り、僕が気絶している間に帰った。
 昨夜の僕は縛られて血が出るまで鞭で打たれた。あの巨体に圧し掛かられたら最早抵抗のすべなどない。
 肛門に器具を入れられた激痛で苦しんでいると、口をこじ開けられて小便をされた。飲まされた小便と一緒に胃の中のものを全部吐いた。
 えづき、鼻水なのか胃液なのか涙なのか、もう分からないものでぐちゃぐちゃになった顔に、更に精液までかけられた。
 何より屈辱だったのは、Kが僕の携帯を勝手に覗き見て、「きみはこのYくんっていう子が好きナリねえ」とニヤニヤ笑ったことだ。

13 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:46:57.80 ID:w0Fd3AQ40

「着信もメールもYくんばっかりナリ。きみの今の姿を写真で送ってあげたらどうだろう? びっくりするナリかねぇ」
「嫌だ……お願いします……やめてください……」
「大丈夫ナリ。そんなことはしないナリよ。お兄ちゃんは優しいナリ。その代わり私の足にキスするナリよ。きみが今まで私にしてきたみたいに」
 僕はすぐにKの足にくちづけ、足の指を舐めた。何もかも言うとおりにした。けれどどんなに陰茎や肛門を刺激されても、絶頂することだけは拒否した。
 Yくんのことを考えた。絶対僕のものにならないYくん。友達以上にはなれないYくん。
 僕は性と金を交換する惨めな男娼に過ぎないのに、地面を這いずる蛆虫の分際で月に手を延ばしている。Yくんのことを考えながら僕はまた気絶した。
 数時間後、携帯のバイブレータで目を覚ました。起き上がって携帯を開く。Mさんからの着信だった。
「やあ。久しぶりだね」
「……あ、えっと……」
「どうやら元気では無さそうだね。何かあったのかい」
 電話口から漂う甘い声に、どうにか声を絞り出した。
「僕は、罪を犯したいです」
「罪というと?」
「……人を殺したい」
 わずかな沈黙の後、Mさんは言う。
「そうか。分かった。今度会おう」
 通話終了ボタンを押そうとしたが、そうだ、と聞こえたので僕はまた携帯を耳に当てた。
「言い忘れていたよ。誕生日おめでとう」
 一秒ごとに昨日が遠ざかる。昨日までの自分が消えていく。その晩、久しぶりに蛇の夢を見た。

14 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:48:26.57 ID:w0Fd3AQ40

 1

 Mさんは僕と会うためにレストランを予約してくれた。そのレストランではチェットベイカーが流れていて、甘ったるい歌声にめまいがした。
「それで、きみは誰を殺したいと思うのかね」
 僕が答えるとMさんは「やはりね」と微笑んだ。
 段取りは全てMさんが組んでくれた。Mさんの所有しているマンションで対象を絞殺。
 終わったらすぐに電話。事後処理の手配はMさんが行う。僕の計画の話をしながらMさんはステーキを食べていたが、僕はなにも喉を通らなかった。毎日酒ばかり飲み、死について考えた。
 一ヶ月が経ち、「その日」がやってきた。

 0

 前日、Yくんに電話をかけてある。例のMさんの話、と言うと彼は全てを理解したようで、僕は指定されたマンションの場所を伝えた。
 部屋に指定された持ち物を全て運び終えて準備が整った後、Yくんがやってきた。彼に会うのは一ヶ月ぶりだから少し緊張した。
「久しぶり。痩せたな」
「そうかな」
 酒とつまみしか胃に入れてないからだろう。Yくんは何も変わっていない。ソファに腰掛け煙草に火をつけた彼に僕は言う。
「ここに呼び出して、ロープで絞め殺すことになってる。処理は全部Mさんがやってくれて、僕に犯罪歴は残らない」
「ふーん。じゃあ俺は待ってればいいわけね」
 三十分、僕とYくんは煙草を吸ったり、お互いの身体をまさぐりあって過ごした。一時間が過ぎて、退屈を極めたYくんは僕に言う。
「そいつ、いつ来るの?」
「誰?」
「今から殺すやつ」
「……」
「なあ、いつ?」
「もう来てる」
「は?」
「もう来てるよ」
 Yくんは目を丸くして僕を見つめ、ゆっくりと、慎重に、言葉を紡いだ。

15 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 18:50:01.34 ID:w0Fd3AQ40

「お前が殺したかったのって、俺?」
 僕は頷いた。「なんで?」と言う彼の声は震えていた。
「そんなに俺のこと嫌い?」
「違うよ。大好きなんだ」
 Yくんは顔を歪め、しばらく黙っていたが、「……やっぱお前頭おかしーわ」と呟いた。
「さっさと帰れよ。殺されたくなんかないだろ」
 本気でYくんを殺そうと思っていた。全て奪って僕のものにしたら、少しは満たされるかもしれない。Yくんの身体をばりばり食べ尽くして、血も肉も骨も全て僕の中に取り込みたい。
 そうしたら、Yくんは僕のものになってくれるんじゃないだろうか。僕は狂気に心臓を食い破られている。
 しかし、彼は逃げるどころか、肩を掴んで唇を触れ合わせた。彼は微笑んでいる。
「俺、初めて会ったとき、絶対こいつは俺と同じ生き物だって思ったんだ。でも、本当のことは分からなかった。でも今分かった」
 僕は黙っていた。
「お前といると一人じゃないって思える。だってお前、頭おかしいもん」
 俺とおんなじだよ、と彼は僕の頭を撫でた。
「なあ、お前が死んだら犯してもいい?」
「いいよ。全部食べてくれるなら」
 僕は、Yくんを殺せなかった。彼を殺してしまったら、その手のひらが僕の首を掴んで、快楽と共に絞め殺してくれる日は、絶対に来ない。
 Mさんに電話をかけようか迷ったが、やめた。結末は既に知っている筈だ。僕は踊っていただけなのだから。
 あの人は僕と"偶然"出会い、Kと引き合わせ、僕の中の狂気を芽吹かせた。
 もう連絡は来ないかもしれない。双頭の蛇はもう片方の首を嚙み殺し、ひとつになった。僕は完成したのだ。狂気を孕んだ怪物として。未完成だった若者はもうどこにもいない。
 メモリから彼の番号を削除して、携帯を放り投げる。そしてYくんに向き直り、今までで一番激しく肉体を貪り合った。涙が溢れてYくんの肩が濡れる。
 僕はいつかYくんに殺してもらえるだろう。そのとき至上の悦楽を得ることを、僕はもう知っている。

16 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/01/09(月) 19:02:55.56 ID:hy2bRmF/0

出感
Mさんの
>今しかない愚かさを楽しむといい。私は喜んで、その手助けをしようとも
のセリフが大好き
最高の黒幕

17 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 19:17:11.40 ID:8xA2X4Mf0

大作すぎて身が震える。
おいクロスの連中ちゃんと見てるか

18 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/09(月) 21:35:13.42 ID:XD8Eg91Hi

頭おかしい人間しかいない法律事務所エロス

19 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/10(火) 03:39:10.84 ID:9U0sczWj0

すごい読みごたえ
幾重にも折り重なるエロスに身が震える。

20 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/10(火) 11:18:57.34 ID:ry7GPW8W0

出会いに感謝

21 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/01/10(火) 13:38:19.70 ID:Xp0btTOq0

これほんといいわ
殺したいほど愛したことは?全体の問答で
Mの深みがこれでもかっていうほど詠み終わった後に分かった

22 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/10(火) 20:48:09.93 ID:hlCoJmNF0

耽美な山山素晴らしい
一方的に虐待されるだけの役かと思った尊師が一転攻勢に出るのもすごくいい
こんな界隈でこんな本気の作品書いてくれる有能芋との出会いに感謝

23 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/10(火) 21:23:36.80 ID:VoK/+03L0

国セコ連中にもぜひ熟読してほしい力作

24 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/10(火) 21:56:50.48 ID:eJvEMVu70

思わず降りる駅を忘れるくらい夢中になって読んでしまった
この作者ならYMMTの先輩ネタと同じくYMOKのサークルの同僚で後に弁護士になった人も美味しく調理してくれそう

25 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/01/10(火) 22:17:56.78 ID:Fxs2WWhM0

こんな凄い小説がゴロゴロ転がってる掲示板というのもすごいなあ

26 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 00:41:57.42 ID:CYIEsIAW0

もはや恒心とか関係なく芸術的なんだよなぁ

27 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 05:06:47.37 ID:FFGgmG6T0

商業作家が書いているのではと勘ぐりたくなるほどの名作
2000年前後の時事的要素とか話の運び方とか会話のセンスとかどこを取っても才気が溢れ出ている

28 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 08:12:20.57 ID:gExad3EF0

なお法的機関(39)に弾圧される模様

29 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 12:47:59.37 ID:cDRlacxC0

T大ホモ多すぎで草

30 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 18:44:13.86 ID:PFn0YS1mI

現実に沿っているのは森だけで
何だかんだあっても3人が一つの法律事務所で共に働くという枠組み・前提に収まってない
パラレルワールド的傑作

31 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/11(水) 19:51:46.09 ID:OroNiS3t0

自分はむしろ何故この3人が今同じ事務所にいるのかしっくりきた気がするで

32 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/12(木) 00:40:11.99 ID:rcnFPVsD0

>>30この時期の東京湾は寒かろうモリね
この時代から10年たった今でも事務所では痴態が繰り広げられてるんやろなぁ

33 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/01/13(金) 00:06:35.13 ID:nn0oYhe80

この作品にぴったりのテーマソング


嵐が過ぎたあとに
語るにも落ちていく
目眩を振りほどいて
123で踊りだす
456でも踊りだす

いつまでふたりでいるのかな
おいしくできたらいただきます
しらないままでもいいのかな
ほんとのきもちはひみつだよ

秘密だよ

「好きよ、あなたが。殺したいほど」

どこまでふたりでいるのかな
ものまねすきるがみじゅくなの
たのしいじかんがいいのかな
ほんとのきもちはひみつだよ

秘密だよ

34 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/13(金) 13:42:08.11 ID:+6L/X2AZ0

キルミーベイベーは死んだんだ いくら呼んでも帰っては来ないんだ もうあの時間は終わって 君も人生と向き合う時なんだ

35 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/01/13(金) 20:49:52.21 ID:8SXguRuK0

http://www.nicovideo.jp/watch/sm28881204

36 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2017/01/15(日) 13:48:15.62 ID:4b0lDzHo0

読ませる文章だわ
大作との出会い感謝。

37 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/05/26(金) 11:32:51.71 ID:CvfLER0E0

>「言い忘れていたよ。誕生日おめでとう」

38 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/06/08(木) 22:12:30.06 ID:QKGbnYut0

作者様が影響を受けた作家や作品を教えて欲しい
こういう作品をもっと読みたい

39 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2017/07/09(日) 17:48:09.86 ID:tPr6eAqI0

>「(略)悪に身を落として繁栄を選ぶのも、正義を貫いて不幸の道を歩むのも、全てきみの自由だ。(略)」

引用してるしマルキ・ド・サドじゃないのか?
あとはサガンとかか?知らんけど