追憶 (16)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

1 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2016/11/13(日) 23:51:23 ID:WbD9QQOM

ある晩、当職のメールボックスにある一通のメールが届いた。ドメインはsigaint.org。
また心無い者たちの悪戯だろうと削除ボックスへ入れようとしていたが、その手が止まった。そのメールはいつもとは少し趣向が違っていた。

「100ビットコインをよこさなければエッフェル塔を爆破する。」

その刹那、当職の脳裏にある思い出が甦った。懐かしきその塔の凛々しい姿は既に20数年たった今でもはっきりと思い出された。そう、私が中学二年の時分の話である。
あれは弟の厚史の死からまだ間もない頃だった。友達のいない当職にとって心を許せる数少ない人間の一人だった厚史は、当職にとってかけがえのない存在であった。
それ故にその弟が自分の手の中で死に征く姿を見た時は、世界の終りとさえ感じられた。その日から自室に引き籠りがちになった私を心配してか、父洋は何かと気を掛けてくれていた。
いや、父洋もまた途方もない悲しみに暮れていたのかもしれない。当職の陰茎を労わる父洋の手は、なにかから逃げようとする必死さがあった。

そんな父が、ある日突然パリに行こうと言い出した。学校は疎か、どこにも行く気が起きない当職を半ば無理矢理に、父洋は部屋から連れ出した。
初めての飛行機に緊張する反面、今は亡き弟を置いて日本を出る事には多少の罪悪感があった。

日本からパリまでは移動に往復で一日以上かかる距離だ。その旅は長旅ではなく、パリには二泊ほど滞在した。長旅にはならなかった理由に父洋の仕事の関係ももちろんあったが、なによりやはり父洋も純粋に楽しめる気持ではなかったのかもしれないと、今になって邪推してしまう。
しかしこのパリへの旅行、特別見たいものがあって来たわけではない。空港に着くなり何となく途方に暮れる当職に父洋は声を掛けた。「エッフェル塔へ行こう。」

シャルル・ド・ゴール国際空港からエッフェル塔まではタクシーで約30分、当職と父洋はどこか落ち着かない顔で車に揺られていた。今思えば不思議な客を乗せたものだと運転手も思ったことだろう。それはそうだ、性的関係にある異国の親子が暗い顔をしてタクシーに揺られているのだから。

エッフェル塔はそれはそれは見事なものであった。テレビで見ていたのとはやはり迫力が違う。雄々しく悠然とそびえるその塔は、行き場を探していた当職たちを優しく包み込んでくれた。

弟はもういない。もう戻ってこない存在なのだ。それは永久不変の事柄なのだ。その証拠に、田園調布にある墓誌には深く弟の名が刻み込まれている。
当職がやることは引き籠ることだろうか?ありもしない、ifの世界を思い続け無為に過ごすことだろうか?
その答えをエッフェル塔の悠然な姿に、言葉無しに教えられたような気がしたのだ。