7 - 7/9 2016/11/04(金) 13:21:04 ID:eLytBpmE
月日は漠然とした流体として僕の周囲を流れていくようだった。中州に取り残された人間のように、僕は時間の本流の中央に置き去りにされ、そして世界は身勝手にその歩みをつづけていた。
僕の中で時間に関する概念というものは崩壊してしまったようだった。あるいはそれは止まったままなのかもしれない。Kに振られたあの日から。
僕はざわつく胸の内と格闘しながら業務をこなし、Kと話し、そして夜には時折その肉体を思い出して自らを慰めた。
記憶の中の肉体が徐々に薄れてゆくにつれて、僕はKの体温やニオイやそういったものをうまく思い出せなくなりはじめた。僕はその事実に恐怖した。
もう、こんなまねはやめにしたほうがいいのだ。新しい相手でも、探したほうがよほど良い。
脳内の葛藤は幾度も僕にそう語りかけてきた。しかし、それができないことはわかり切っていた。
僕はいまだに捨てられない《データ入りの情報》を横目で見ながら、精を吐き出すだけの人間となり果てていた。
***
「Y君、ちょっといいかな」
仕事が珍しく早く終わった日、Hが声をかけてきた。
「なんでしょう」、とたずねると、老人は心配した風に僕を見つめる。
「最近、どうも仕事に身が入っていないような気がするんじゃが……何かあったかのう?」
「……すみません」
つぶやくようにこたえると、Hはもみあげを撫ぜながら言う。
「Y君、ワシは謝罪の言葉を求めとるわけじゃないんじゃ。きみの仕事ぶりについて、原因を知りたいのじゃよ」
こたえず、僕は眼前の男をじっと観察していた。
――よくよく見ればこの男、息子にそっくりだな。
ぽってりと出た腹、丸みを帯びた柔らかそうな尻のライン。
無言のままの僕をどう解釈したのか、老会計士は慌てたように付け加える。
「いやいや、別に話したくなければいいんじゃよ。誰にでも話したくないことはあるじゃろうし」
僕は思わずHの嬌声がどんなものか想像してしまった。
煙草のせいで少ししゃがれた、でもKにそっくりな嬌声。ちょっと高めの男の声。
「でも、最近のきみの仕事ぶりは、はっきり言って異常じゃ。このままではちょっとのう――」
僕がへそを舐めると、どんな声を出すんだろう。きっとKにそっくりにちがいない。
「事務所全体の士気にも関わってくるじゃろうし――」
僕が耳たぶを噛むと、どんな声を出すんだろう。きっとKにそっくりにちがいない。
「ワシときみは組んで仕事をすることが多いから、やはり信頼関係を――」
下の具合はどうなんだろう。きっとKにそっくりにちがいない。
「こういった事務所内の問題はやはり――」
その体温はきっと平均よりも少し高いのだろうし、熟れすぎた果実のような香りはどこかに残っているのだ。まるでKのように。
「……Y君? 聞いとるか?」
積乱雲のように膨らむ妄想が理性の風船を押し破ろうとしていく。蜘蛛の糸のように思考の糸が張り巡らされ、それは僕を搦め取ろうとする。
ダメだ、考えるな、想像するな。今はHとの話に集中しろ。いつものように笑みを浮かべて、適当に言い繕え。
――Kは、俺のかわりを見つけたのさ。
誰かが頭の中でささやいた。
瞬間、最後のパズルのピースを押し込むように、ひとつの図式が僕の中に成立した。
――じゃあ、どうして俺がKのかわりを見つけたらいけないんだ?
ぱちん。
「Hさん」
「なんじゃ? ワシでよければ相談に――」
「かわりになってくれませんか」