6 - 6/9 2016/11/04(金) 13:18:03 ID:eLytBpmE
「……Y君。Y君!」
呼ばれた声でふっと我に返った。Kがこちらをのぞき込んでいる。
「どうしたナリか? お腹でも痛いナリか?」
「いえ、ちょっと考え事をしていただけですよ」
曖昧な笑みを返すと、Kは、ふぅんと小首をかしげ、「それよりも、聞いてほしいナリ」と言う。
「また例のノロケですか? 間に合ってますよ」
「んもぅ、それが最近向こうったら冷たいナリィ」
表情筋を操作して笑みを浮かべつつも、疲れるな、と内心思う自分が存在している。
当たり前だ。自分はこの目の前の小男のように切り替えがうまくもない。大体どうして、この男は幾度も肌を合わせた相手にべらべらと今の恋人の話なんてできるんだ?
Kが嬉しそうに口を開くたび、風俗弁護士の名を呼ぶたび、僕の中で黒い感情が渦巻くのを感じる。
小さな胎児がすくすくと母親の腹で成長していくように、黒い感情が僕の心の面積をどんどんと埋めていく感触をおぼえる。
もし、だ。
僕はKの話に相槌をうちながら考える。
もし今、あの例のデータについて話すと、Kはどういう反応をするんだろう?
もしかしたら、僕が妄想の世界でよくしていたように、僕に口でしてくれるのだろうか?
もしかしたら、その唇を、指を、白いズボンに隠れた部分を、昔のように僕に好きにさせてくれるのだろうか?
あのデータで脅せば、もしかしたら……
――俺は何を考えているんだ?
自分が恐ろしいことを考えていることに気づき、僕はうつむいた。
「でね……ん? Y君? 急にどうしたナリ? そんなにお腹、痛いナリか?」
「いや、なんでもないですよ」
ぽんぽんと頭を叩かれる。
「Y君は抱え込むタイプだからいけないナリ。当職のようにすっきりさっぱり生きないと、これからの時代生きていけないナリよ?」
「世界で2番目に予告された人が言うと、重みが違いますね」
「あーもう、ネタでもそれに触れるのはダメナリ!」
軽口をたたき合いながらも僕の頭の片隅には、シミのように消えない思考がへばりつく。
もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら……。
「……おほん! 同僚同士仲良くするのも結構じゃが、今は就業時間ということを忘れないように!」
Hの小言でKが口をとがらせつつも業務に戻っていく。
その背中を横目で見ながらも、僕の中では数えきれないほどの「もしかしたら」が増殖していく。
風船に徐々に空気を入れていくように、欲望が膨れ上がっていく。
いつかこの風船が、ぱちん、と破裂したら、どうなるのだろう。
スーツのポケットに忍ばせたUSBメモリにそっと触れる。
とうとう捨てることができなかった、無機質なその物体を僕はこうして持ち歩き、何度もその存在を確かめてしまっている。
大切なおもちゃを手放そうとしない子どものように。宝物を隠し持った人間のように。