5 - 5/9 2016/11/04(金) 13:15:56 ID:eLytBpmE
自室でPCの電源を落とすと、思わず大きなため息が出た。
そこではじめて、自分がそれまで息をのんで「うっかり消し忘れたデータ」を閲覧していたことに気づく。
ひどく喉が渇いている。冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して一気に半分ほど空けてから、僕は頭の中で考えをまとめる。
……Mの真意が、つかめない。
これがKを……というよりも、Hを潰すには十分なものであるのは確かだ。
しかしそれなら、なぜ僕にこの情報を手渡した? 自分でばらまけばすむことだし、だいたい僕が自分の職場を潰すとでも思うのか?
――昔の男に関する、重要な情報。
あの真意の見えない表情が語った言葉を思い出す。
あいつは僕とKの関係を知っていた。Hも気づいていなかったはずの、僕らの情事を。
そしてその関係が破綻したのを見計らって、これを僕に渡した。
メモを持ってくると、僕はボールペンを握って文章を書いてみる。
【Mは、僕へ事務所を離れろと警告するためにこれを与えた】
すぐに上から二重線を引いて消す。ちがう、こうではないのだ。
【Mは、僕へ、HとKを個人的に潰させるためにこれを与えた?】
書いているうちに自信がなくなり、思わずクエスチョンマークをつけてしまう。こんなことをする理由はなんだ? 理由。あるいは目的。
頭をかきむしったそのとき、携帯電話の低い唸り声がきこえた。ディスプレイに表示された着信相手を3秒ほど見つめて、通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
「見たかい」
Mの声に僕は意識的に眉をひそめて返答する。
「狙いはなんです?」
電話越しに忍び笑いがきこえる。
「ふふ、いや失敬。……きみのことだ、私の真意を測りかねて、真面目にああでもない、こうでもない、と悩んでいたんだろう。紙とペンで考えを整理しようとでもしていたかな?」
思わず黙った僕に、「図星か」と軽い笑いが飛んでくる。
「いいかいYくん、教えてあげよう。この世界でもっとも恐怖すべきはね、悪意のない悪事なのだよ。私のちょっとしたミスできみに渡った情報は、それ自体に深い意味などないんだ。私がしたかったのはね、単なるいたずらだよ」
「いたずら?」
「そうだ。私はね、単に事態がどう動くのかを見てみたいだけなんだ。きみたちのちっぽけな事務所なんて、はなから興味なんてない。私が一番知りたいのは、《きみがどうするか》だ。ある人間が可能性を突きつけられたときに、どういった行動をとるのか、そこなんだよ」
「僕がどうするか、だって?」
僕は椅子から立ち上がると部屋を歩き回りながら言った。
「どうもしないに決まってる――僕にメリットなんてない。こんなもの、明日には駅の燃えないゴミ箱にでも放り込んで、おしまいだ」
「征服」
低い声が耳に流れ込んできた。
「きみは征服してみたくはないのかい? 自分が惚れた男を。そいつの人生を潰せる武器をきみは手に入れたんだ。手にしたカードは使ってみたいのが、人の性だろう?」
「……僕にそんな悪趣味は無い」
「いいや、あるね。きみは今一瞬、ちらりと考えてしまったはずだ。Hのせがれが泣き叫ぶ姿を。彼はきっときみに懇願するだろう。ひざまずき、両の目から涙を流しながら、きみに乞うだろう。何でもする、この身を捧げても構わない、だから黙っていてくれと――」
僕は通話を叩き切って、携帯電話をソファの上へ投げつけた。
そのままベッドにもぐりこみ、無理やりに目をつぶる。
――あんなもの、明日にでも捨ててやる。