1 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2016/10/27(木) 01:07:48 ID:P9Oq8ZUQ
日常は、それぞれによって違う。
ある者はインターネット上の掲示板で誹謗中傷を浴びることがそれにあたり、ある者にとってはインターネット上の掲示板に会った事も無い男の悪口を書き込むことこそがそれにあたる。
価値観も人それぞれである。アニメが好きな人間もいれば、嫌いな弁護士もいる。
日常も価値観に伴い変化し、他人同士の複雑な価値観が、つまり日常が交差することで社会性が営まれる。なのだが、その日常が他人からするとあまりにも異常である場合、逆に社会性は損なわれ、その日常は他人の価値観、つまり異常という認識によって失われる。しかし、その淘汰的性質は決して間違っていない、むしろそれこそが社会としては当然なのだ。
多数が全てを決める。人類の、生物の、宇宙の、世界の、全ての歴史。多数とは強さである。
主観体が1つ失われたところで世界は消えないし、地球を、ましてや1人物を中心に世界が回るわけがない。生態系、国、宗教、銀河系、そんな曖昧な概念的構図こそが中心となりこの次元に脈打ち続けてきた。醜い化け物のようでもあり、非常に美しい絵画のようでもある。
詭弁 そう言われればそうなるが、これは事実だ。