立夏 (5)

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2 - 名前が出りゅ!出りゅよ! 2016/05/14(土) 00:08:51 ID:3DD2gK2I

ぷぅん。

夢中にいる当職を覚ますように、耳元で間の抜けた音が鳴った。なんだ、また山岡くんがおならをしたのか。場違いな山岡くんのおならに、自然と笑みがこぼれてしまう。そこに先程のような影はなかった。昂る感情は次第に落ち着きを取り戻し、上気していた体も沈静し始めている。当職は再び森タワーの一室へと戻ってきたのだ。
しかし、何か違和感を感じる。音が鳴ってから暫く経ったというのに、あの芳しい香りが一向にしない。そして何よりもまず、音の鳴る位置がおかしい。当職が今佇んでいる場所は山岡くんから離れた、煌めく街を一望できる窓際。つまり、おならを耳で聞くことは出来ても、耳元でその音が鳴るはずがないのだ。そうするとあの間の抜けた音はおならではなく、何か別のものによる音だということになる。だが、この部屋で音の鳴るものは限られており、しかもそれら全てが窓際ではなく中の方にあるのだ。
突如耳元で鳴った間の抜けた、謎めいた音。一体それが何であったのかは、当職の体が教えてくれた。
脇腹の辺りがこそばゆい。思索に耽っていたときは気付かなかったが、脇腹に小さな腫れが出来ている。周囲は仄かに赤く染まっており、所謂虫刺されというものだった。
痒みを伴う腫れ、それが指し示すものはただ一つ。
「蚊、ナリか。」
そう、突如耳元で鳴った音の正体は蚊の羽音だったのだ。ようやく判明した音の正体に溜飲が下がる。恐らく上気した当職に反応したのであろう。蚊は人の汗や体温に反応すると聞く。つまり褌一丁で発汗、発熱していた当職は格好の餌食だったというわけだ。
脇腹をポリポリ掻きながら街を見下ろす。当職が引きこもってから、もうどれくらい経ったのだろうか。最後に出たのは引っ越しの時、およそ四ヶ月ほど前のことだ。それ以前も部屋から出たことは毫もなく、仕事で裁判所に行かねばならないときも適当に理由をつけて不出を通した。外気に触れることも窓を開けたときくらいで、外に出て感じるということはない。そのため引っ越しで外に出た際は、全身で感じる新鮮な空気に驚いたものだ。丁度時季が冬ということもあり些か肌寒かったが、逆にその寒さが季節というものを感じさせてくれた。
あれから時は流れ、いつの間にか夏を迎えていたのだな。脇腹にある腫れがそれを示している。部屋に紛れ込んだ一匹の蚊は、当職に夏をもたらしてくれたのだ。
ぷぅんとまた一つ音が鳴る。さあ、今度はどちらだろうか――