2 - 2/10 (sage) 2016/02/14(日) 21:52:58 ID:V6q9DBhI
Kは左腕を撫ぜていた。
肥えた指先が、彼の左前腕をそろそろと、まるで絹の布の上を滑るように這ってゆくのを僕は眺めていた。
いましがたついたばかりの傷。幾筋か垂れている血液。
僕は医学について詳しくはないが、黒々としたそれは、きっと静脈の血液なのだろう。
夕陽が事務所を赤く塗りつぶしている。それは僕の体をめぐる血流よりも赤く思えるが、彼の傷口から流れる赤よりも新鮮に見える。
煙草を一口吸う。ろくに肺に入れず、吐き出したケムリは白く空中に湧き上がり、やがて空調に処理されて消えてゆく。
「K?」、僕は灰を落としながら呼びかけた。
なに、と小さな声が返って来る。
「僕は、ありとあらゆる行為には、なんであれ『理由』があるのだと考えている」と僕は言った。
「僕らは金を稼ぐために働き、食欲を満たすために物を食べ、反応を楽しみたいがゆえに刺激的な行為をおこなう。
行動を下で支える土台として、常に理由が存在するはずだ。倫理的に正しいとか正しくないだとか、そういった判定はそこには要らない。
とにかく《存在する》のだと、そう考えている」
思ったとおり返事は無かった。
……そもそも、僕の言葉を彼が聞いているのかも怪しいものだ。
Kの指はあいかわらず左腕を這いつづけている。その指先は、夕陽ではない別の赤に塗れている。
彼の三日月の瞳はその腕を、赤を、もしくは傷口を、慈しむように見つめている。
僕は彼が見つめている傷を見た。
彼お手製の傷。コンパスの針で深くつけられた傷。
腕のキャンバスに、赤い血を絵具代わりにして書かれた漢字四文字。
僕の名前。