うつくしい (12)

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5 - 5/5 (sage) 2016/02/08(月) 12:16:16 ID:iV8j0tQs

 ふと気づくと彼らは青い服の男性たち、すなわち国営セコムに取り囲まれている。

 ――おや見たまえYくん、穏やかではないね。当職たちはどうもポリスメンに囲まれてしまったようだ。

 ――なるほど、何やら不法侵入やら猥褻物陳列などといった単語が聞こえますね。彼らと来たら、オートマティックの拳銃をこちらに向けていますよ。

 ――ふむ、オートマティックの拳銃! 冬の日光を浴びて、それらときたら実に黒光りしているじゃないか。
    実を言うとだね、当職は先ほどあれを見た瞬間から、どうもパパの陰茎を思い出してならないのだよ。

 ――おや、それは奇妙な一致ですね。僕としては、M会長の陰茎を思い出してならないところでした。

 ――うつくしい!
 
 パトカーのサイレンをかき消すほどの大音声で彼らは叫ばずにはいられない。
 バニラ・アイスクリィムと小学生の乳房に関する共通事項を発見したばかりだというのに、今度はオートマテッィクの拳銃と陰茎に関する共通事項を見いだせたのだ! 
 これほどまでに多くの発見をおこなえるなどとは、このお散歩は大成功と言えるではないか!

 ポリスメンたちに手錠をかけられながらも、彼らの顔からは笑みが消えることは無い。
 彼らの精神、その2つの円は3つの共通事項の発見により、いまや完全に一致したのだ! この事実にこそ感嘆せずに、我々はいったい何に感嘆できるというのか?

 美というものは物体を鑑賞すること、すなわち我々による「対象化」によって味わうようなものではなく、まさにその目的意識を越えた部分、ただ「存在する」ことだけにあるのだ!
 しからば人の精神の重なりというものは、それが雲をバニラ・アイスクリィムと客観視しようと膨らみかけの幼女の乳房と客観視していようと、それこそ、ただその重なりのみで《美》であるといえるのではないか!

 肉体的自由が奪われた? それがどうしたというのだ。食事は与えられる。我が生はかき消されるわけでもない。
 肉体を縛り付けようとも、我々の精神というものは柔軟に動き回りつづけ、そしてまたうつくしいものをどこかに見出すにちがいないのだ。

 その事実についに気づいた四つん這いのYと勃起したままのKは、思わず顔を見合わせて叫ばずにはいられない。

 ――嗚呼、うつくしい! 

 のちにその重大な美への挑戦によって、1弁から2人の弁護士の名が消えたということだ。