日常の境界 (27)

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2 - 2/3 ◆ilWjQe6sGk (sage) 2016/01/09(土) 01:34:42 ID:KmpREVnw

日本語がおかしいことに、言ってから気が付く。
目の前にいる女性は弁護士で、それ以前に大人だ。
何時にどこで何をしていようが、何も問題はない。
大方仕事だろうと思い直し、守秘義務があるなら言わなくて良いと告げる。
その女性は、子供っぽい笑みを浮かべながら、無言で煙を吸っていた。
なぞかけをされている気分になり、裕明は煙草に戻って考えた。
シュボッ……オイルライターを使うのは久しぶりだった。独特の匂いが漂ってくる。
「ありがとう、助かったよ」
「いいのいいの、こういうのはお互い様だから」
「それで、さっきの質問に戻るけど……弁護士の仕事だった?」
彼女はふふっと小さく笑った。
その仕草に、奇妙な鼓動を感じる。
「半分あたりで、半分はずれ。仕事が終わった後サボってるの。あなたは?」
「僕? ちょっと社長に頼まれてね、買い出し中。ちょっと、いや、結構遠回りで」
「あはっ、それじゃぁ私と一緒だ! ねぇ、名前はなんていうの? 私は綾乃。小西綾乃」
裕明は声に詰まった。
灰がぽとりと土に落ちて、さらさらと流れて消える。
「僕は……Y岡裕明。僕も弁護士なんだ」
鳩尾の辺りがくっと凹んだ気がした。
おかしい、僕は弁当を買いに来ただけではないのか?
どうでもいい日常を過ごし、無能だデブだとネットで叩かれ放題の弁護士と一緒に仕事をして、
家に帰ったらビールを呷って寝るような。
そんな、灰色の人生を過ごしてきたんじゃないか。
目の前の現実は……なんだ? 楽しい夢でも見ているんじゃないか。

「どうしたの、狐につままれたような顔しちゃって」
「いや……小西さんみたいな女性と出会えるなんて、夢でも見てるんじゃないかって……」
「あはっ! 私くらいの女なんてそこらにいるよ?」
「そんなことはないさ。だって僕には……」
「僕には?」
慌てて煙草を吸った。何も考えたくない。考えられない。
コーヒーをぐびぐび飲むが、途中で喉を上手く通らず咽せこんでしまった。
すると、綾乃はにひにひ笑いながら、立ち上がった。
「私は自由! もうめんどいクライアントもいない! 同じ名字の上司もいない! 私はどこまでも自由で、何でもできちゃう!」
仕事、終ったんだな。しかも、とびっきり顔を顰めるような山を越えたんだ。
山の中で迷っている、自分の法律事務所など、核でも打ち込んで綺麗さっぱり消してしまいたい。
それくらい、綾乃は開放感に溢れていた。
「ねぇねぇ、ここで会ったのも何かの縁よ。そっちの社長のことなんて忘れて、どこか飲みに行きましょ♪」
「あ、いや……そうしたいのは山々なんだが」
綾乃が、くるくる踊りながら問いかけてきた。紫煙がふわりふわりと、彼女を取り巻くように渦を作る。
しかし、これ以上時間を潰し続ける訳にもいかない。
社長もとい貴洋は、余りに腹が減りすぎると顔が横になるのだ。
あれのおぞましさは何度も見たいものではない。
「僕もお腹が減ってるんだ。早く何か食べないと」
「真面目なのね、裕明君ってば」
タメ口を聞いてくる綾乃だが、それでも嫌な感じが少しもしない。
どうしてだろう。分からない、分からない、分からない……
「それじゃこうしましょ。来週とか再来週とか、適当なタイミングで改めて顔合わせってことで!」
そう言って、綾乃はさっと胸から一枚の名刺を出して、渡してきた。
慌ててスーツを探してみるが、名刺は事務所に置いてきてしまったようだ。
「分かった。明日にでもメールを出しておくよ」
「うんっ、よろしくね裕明君っ! じゃぁそっちの社長が怒らない内に解散しましょっか♪」