不可視光/しびれ、ときどき、めまい (49)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

6 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2015/11/09(月) 23:35:37 ID:kPaKyqPA

「……これでも、経験は積んでいる方だと自負していますよ」
 僕は思考をはぐらかすように言いながら、体をずらす。
「男で? 女で? それとも《両方で》、か?」
「いずれにせよ、大した問題じゃない」
 言うと僕は舌を操ることだけを考える。手つかずの果肉のような自然の色つやを、自身の唇で汚していく背徳感に身をまかせる。
 僕の頭をその人の両腕がかき回し、髪の一束を優しく引っ張る。一瞬、体の全体がはね、すぐにそれをごまかそうとするように左右に揺れる。
「……ま、それなりかな」
「強情な人だ」、僕は一度動きを止める。「キスしても?」
「いま聞くとか、わりと最悪だな」
「したあとの口は嫌がる人だっているでしょう。それにあなたには、僕の味は不評のようだ」
「バカじゃねえの」
 軽口の応酬を終えると、僕は小うるさい口をふさぐことに集中する。安普請のベッドがきしむ。遠くで子どもの遊ぶ声がきこえる。
 それらは水音と混ざって、僕の頭で幾度も反響を繰り返し、やがてひとつの音楽を成す。空虚な音楽。
「……疲れただろ。交代だ、今度はこっちがやってやる」
「お願いだから、もう少し魅力的な言葉を覚えることを提案しますよ」
「じゃ、しない」
 はいはい、と言いながら僕はベッドに横たわる。「マグロだ」という軽い笑い声とともに、僕のそれは生温かい口の中へと取り込まれていく。
 適当に手の届く範囲の背や首筋を愛撫し、天井を見つめながら、僕の中ではあの疑問がまたもよぎる。
 ルーティン・ワークのように繰り返されたせいで刺激を失いつつある快楽よりも、解けない疑問のほうが僕の中では優先されている。
 しびれ。あるいはめまい。あの日、エレベーターにいた女に感じたもの。あんなやつになぜか感じて、この人にはなぜか湧かないもの。
「おい」
 声と共にいきなり握りしめられ、思わずうめき声を出してしまった。見ると、唇をへの字に曲げてこちらを見ている。
「お前、なんか余計なこと考えてただろ」
「ええ」、僕は半身を起こしながら言う。「これからあなたをどういじめたものか、考えていましたね」
「15秒でか」
「それだけあれば十分だ」
 しばらく僕をじっと見ていたかと思うと、ふっと薄い笑みを浮かべた。
「帰るわ」
 そのまま起き上がると、さっさと下着を身に着ける。僕は半身を起こしたままにその様子を見ていた。今日も侵入する予定だったはずの、形の良い尻が布地に隠されていく。
「シャワーくらい浴びて行ったらどうです?」
「嫌だね。今のお前とは、1秒でも余計に、一緒にいたくない」
「どうして」、言ってから自分がとんでもなく間抜けな質問をしたことに気づく。氷点下の視線が僕をとらえる。
「何回目だよ、そうやってぼけーっとするの。……悪いけど、しばらくは連絡取らないでくれ」

 ひとりになった空間で僕はため息をつく。下を見ると、行き場を失った性欲はいまだに形を保ってそこにある。
 ――自業自得。
「まったくね」、つぶやくと僕はベッドから立ち上がり、浴室へと向かった。