4 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2015/11/09(月) 23:33:41 ID:kPaKyqPA
◆2
その人とは、Kを通じて知り合った仲だ。
はじめてG反田の飲み屋で顔をあわせたとき、かけられた言葉は今でも覚えている――「へえ、お前が新しい《介護係》か」。
すでに焼酎でほろ酔い加減になっていたKは「そうナリー」とかへらへら笑っていたけれど、僕としてはその言葉は我慢ならなかったし、聞き流せるものではなかった。
酒が入っていたせいもあってか、議論が口喧嘩になり言い合いになり、やがてはリアル・バトルの勃発だ。
「け、喧嘩はもうやめにしませんか……」
おろおろするKの前で、なぜか一気飲みで決着をつけようという話になり、焼酎に日本酒にチューハイスピリタスという異常な呑みへのこだわりで見事なちゃんぽんを決めた僕たちは、そろってトイレの個室を一時間ほど占領するはめになった。
後日、手土産のGODIVA片手にS事務所を訪れた僕としては、ともかく一晩の酒による恥として謝罪をすませることしか頭になかった。
丁寧に交わされる挨拶、礼儀上の世間話、時折混ぜられる社交儀礼、丁重な詫びの言葉、そして最後に軽くかわされる握手。
一連のプロセスなんてその程度のもので、それさえすめばもう関わることもないだろうと思っていた。
……いたのだが、向こうが僕に抱いた心象はどうも違っていたらしい。
「お前気に入ったわ。今晩空いてる?」
ずいぶん軽く通された僕はずいぶん軽くすべてのプロセスをすっ飛ばされ、おまけに今晩の予定までたずねられた。
「え? ええと、まあ……」
「おし、一杯やりにいくぞ」
話にまったくついていけない僕に、その人はにやりと笑ってみせた。
「《前》介護係と、《現》介護係。積もる話もあるだろ? ボギー1のいないところじゃないと出来ないような、積もる話がな」
少々怖い人々を相手に商売しているだけのことはある。遊び慣れているとでもいうべきだろうか、その晩多くの店に僕は連れまわされた。
それはなかなか新鮮な感覚だった。きわめて真面目な生活を送ってきた僕にとっては、物事の、この東京という街の、新たな側面を多く見たように思えた。
サイコロの「1」が反対から見れば「6」であるように、あらゆる事物は別の角度をもって僕の前に存在しているように感じた。
1度きりと思った付き合いが、2度になり、3度になり、数列のように無数に増えていく。
ビジネスの話が、ちょっとした打ち明け話になり、やがてはくだらない冗談を交わし合うようになってゆく。
酒が入ればたがも外れる、とは昔の人が言ったことであろうか。「よくあるパターン」と表現すれば、それだけの話かもしれない。
ある晩酔いに任せて、僕らは恐ろしくセンスが悪い名前のホテルの一室に転がり込み、そうしてだらだらとした肉体の関係が成立した。
そう、非常にだらだらとした感覚だ。
そこにはしびれるような鮮烈な感触はなかったし、めまいがするような生殖活動の醍醐味というものもなかった。
キスすればマズイと言われ、煽情的な甘い言葉はひとつもくれず、僕は腰を振ってそして(言いたくはないがさっさと)果てた。
すべてが終わったときはなんだか、自分が蛇口、カランか何かの無機物にでもなったような気分だった。ひねれば水が出る、ジャー、はいそれだけ。そんな感じだ。
――まあ、ワンナイト・ラブ程度に期待をするほうが間違っていたのだろうな。
汗臭いシーツの上、ぼんやりと思っていた僕に、隣の人はたずねてきた。
「お前、誰かいんの」
「誰かとは」
「する相手」
ずいぶんストレートに聞いてくるものだな、と思った。同時にそのあけすけで、ひどく無防備な感じは、僕に一種の好感を与えた。素直にこたえてもよいかな、という具合には。
「いませんが」
「じゃあ約束」、小指を出される。「たまに付き合え」
逡巡してからなんともなしに小指を絡めると、ゆびきりげんまん、と言われる。こんな言葉をきくのは、小学生以来かもしれない。
「……秘密だぜ? 誰にも言うなよ」
なぜ、と反射的に聞きかえした自分は、きっと愚か者なのだろう。