ポジショニング奇譚 (9)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

2 - 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2015/09/20(日) 22:44:56 ID:JF68mE.M

§2

 世間には言ってよいことと悪いことがある、という。言わぬが花という故事成語もある。
 ではこの場合、やはり私は指摘するべきではなかったのだろうか。何分社会経験が不足しているためか、こういった事柄に己の未熟さを痛感する。
 私の後悔をよそにKが真っ赤な顔を上げる。怒髪天を突くなどというが、彼のワックスによって逆立てられた短髪はまさにそういった状態を示しているようにも思える。
「当職の! 提案するッ! IP開示に意味がない!?」
 Kが唾を飛ばしながら怒鳴りつけてくる。
「では、あなたは信じられないのですかッ!? 当職の! ネットに強い当職の! 最善たる提案を!?」
 中年の男性がする怒りの表現とは思えない。わがままな子どもがそのまま37歳になればこうなりそうな怒り方である。
「いや、あの、その、申し訳ありません」
 兎にも角にも頭を下げるが、Kの怒鳴り声は尚も上から落雷のように降り注いでくる。
「おっしゃいましたねッ!? 開示!! パカパカに意味がないとッ!! ではどうしろと!?」
「失言でした。申し訳ありません」
「パカパカは負けないのです! 人はみな、パカパカをすべきです! なぜなら当職の提案なのですから!! パカパカ! パカパカ!!」
「お、落ち着いてください、Kさん!」
 ようやくYが割って入り、「どうどう」などと言ってKをなだめる。彼はKの頭を抱いて私をにらむ。その姿に私は小学生時代好きな子にいたずらをしてしまったときの後悔を重ね合わせてしまう。
 スカートめくりをして囃したてたとき、スカートの端を握りながら私をきっと睨んだ少女。夕陽に赤く染め上げられた校舎。
「当職の、当職の考えは最適……当職に間違いなどない……そう、当職は何も悪くない……あの少年のことだって……」
 Kがまだもごもごと何かしら言っているのが聞こえる。Yは慌てて彼を見、そして「ナムサン!」と叫んだ。
「Kさん、大変です、ポジショニングが! 今の興奮で少し陰茎が膨張したせいで、ずれています!」
「なに、それは本当かね」
 瞬間、Kが落ち着きを取り戻す。
 彼は応接用のソファにどっしりと座りなおすと、「直してくれたまえ」とYに言う。Yが再び彼の前にうずくまり、ごそごそと何やらはじめる。4回目。
「いやぁ――さん、取り乱してしまいました、申し訳ないナリ」
 茶をずずず、とすすりながらKが私にウィンクを飛ばす。その顔には聖母の笑みが戻っている。
 私はそろそろ本格的にこの事務所に嫌気がさしてきつつも、「いえ、こちらこそ失言を」などとバイトで鍛えた愛想笑いを返す。
 カタン。
 乾いた音を立てて湯呑みをテーブルに置くと、Kは腕を組んで言う。
「ともかく当職のIP開示は無敵なのです、ご安心ください。そりゃ他の無能弁護士なら、意味のない着手金詐欺ですがね。当職の場合は別ですよ、別」
「別?」
 何か含みを持たせた言い回しが気にかかり、私はたずねる。Kは大きくうなずく。
「別ですよ。完全にね。当職には゜秘密の武器゜がありますので」
 秘密の武器とはいったいなんだ?
 更に聞こうとしたとき、「直りました!」という大声が事務所中に響き渡る。
「今度こそ万全ですよ、Kさん! 今回は、先端をパンツのゴムで固定し、さらに棒と腹のあいだにトイレットペーパーを何枚か挿入しました! これでもう腹部の汗でずれる心配もありません!」
 Yが満面の笑みを浮かべてKに報告する。その姿はさながらテストで100点をとったことを母親に報告する少年のようである。
「そうかそうか、よくやってくれたね、Y君」
 満足げにKが彼の頭を撫ぜる。私はいよいよもってこの事務所へやってきたことを後悔しはじめる。
「しかしね、Y君。ひとつ問題があるのだよ」
 Kが軽く眉をひそめて言う。
「ど、どうかしましたか? 僕、何か問題を起こしましたか? ……あッ、まさか!」
 Yの端正な顔からさっと血の気が引く。