23 - 塘懌䝿拝 2013/08/16(金) 03:06:17 ID:UAWLwWv6
八月一二日、夏ーーー
一人の少年が、街中を疾走していた。
齢一四、一五の浅黒く焼けたその少年は、端正な顔立ちをしていた。目はどんぐりまなこで愛嬌さえ感じさせるが、黒目の光をみれば、自信に満ち溢れていることが一目でわかる。
一見すると細いその体躯は、無駄なものを極限まで削ぎ落とし、しなやかな筋肉で形作られていた。
少年の名を、敦史といった。唐沢家の次男坊である。
(あの無能め)
敦史は、怒気を発しながら走っていた。
馴染みの八百屋を通りかかると、
「あっくん、急いでどこ行くの?」
主人が声をかけてきた。
「うちの高広を見ませんでしたか?」
主人に問う。
「たっくん?」
主人は首をかしげた。
「さあ今日は見てないねぇ。いつも果物をねだりに来るんだけど」
(あの無能め、まだそんなことしてるのか)
敦史は心中で高広を罵ったが、今はそれどころではない。高広の行きそうなところはあら方探した。
(どこ行きやがったあの無能は)
主人に礼を言い、高広を見かけたらすぐ家に帰るように伝えて下さいと頼むと、また走り出す。
高広とは、唐沢家の長男、唐沢高広のことである。兄は弟と違い、内向的な性格であった。家で本を読んだり、映画を見たりすることを好んだ。友達も多くないようだ。しかし今日は、こんな大事な時に、友達に誘われ、ふらふらと家を出て行ったらしい。
(無能めが)
敦史は本来、人を罵ることを嫌った。しかし幼い頃から高広に対しては、どういうわけか口汚く罵るのを我慢出来なかった。
高広は敦史に比べると醜男であった。鼻梁こそ高いが、唇は無駄に分厚く、顔中にニキビをつくっていた、そして目は眩しそうに細い。その細い目を一生懸命に開き、絶えず真面目な顔をしている。表情は極端に乏しく、滅多に笑うこともないが、対面した誰しもが、この男がヘラヘラ笑っているかのような印象を受けた。
(そんなことだから虐められるのだ、無能め)
敦史は高広のために憤った。
高広はイジメにあっていた。人がなぜイジメを行うのか、その理由はわからない。しかし、脂肪がのっているため横幅が大きく、他人と同じスピードで物事を進めることが出来ない、また、舌足らず、言葉足らず、まるで木偶の坊のような高広は格好の標的だったのだろう。家が裕福な高広は、度々金銭をせびられていた。「パカデブ」、高広に付けられた渾名だ。本名で呼ぶのは家族くらいのものだった。
やがて敦史は多摩川の河川敷に出た。のちに、この敦史自身が入水自殺する場所である。だが、当時の敦史はそんなこと知る由もない。
(あの無能め)
敦史は高広に思いを馳せ、何度めかの「無能め」を発した。
無能は一人で河川敷に座っていた。衣服が汚れている。そして脱糞している。遊んで汚れたというよりは、誰かに汚されたようであった。目に涙は見えなかった。ずっと多摩川の方を向いている。
(またイジメられたのか)
敦史はすぐにわかったが、そのことには触れなかった。
「兄さん、今日は父さんの誕生日だよ。早く帰ろう」
高広は、弟の方には振り向かず、一心に川の流れを見つめていた。表情の乏しい高広がなにを思っているのか、敦史には、わからなかった。