148 - コテ (sage) 2021/02/28(日) 17:48:45 ID:dALLq/+I
頼朝亡き後に権力を増し執権制度を作り源氏(直系)を滅ぼし執権が長い事実権を握っていた鎌倉幕府は別としてそうなんじゃないですか
酒井とか言う譜代大名が執権政治をしようとして綱吉におとりつぶしにされたという噂話もありますし
老中や大老(後者は非常時だけ)を置きあくまでも実権は将軍一族に持たせ家中での跡継ぎ争いは家光の弟を除きほどほどで収め265年(1603-1867)続きました(引き算の結果+1)見方によっては268年です
いつでも幕府の要職を解任できるようにしたことで幕府以外への権力の集中を防ぎました
そして一応補佐役をつけることで信長や秀吉みたいな後継者の力量次第で崩壊してしまうようなことを防ぎ既存の統治機構を流用し幕府の基盤を固め本格的な身分制度を作り上げたのです
しかし歴史上の武家政権同様地方分権型だったため大名が離反し続けるとどうにもならなくなり恭順し現在に至ります