20 - だれとは言わんが (sage) 2017/09/24(日) 01:04:12 ID:yyIgG6Ps
方便品第二では智慧だけでは仏の智慧に到れないとも、また疑問に思ってはいけないとも言っていますが、
しかし全く智慧自体を捨てろと言っている訳ではありません。
仏の教えの断片とも言える他の教えを理解するのも、また方便を使うのも智慧が必要です。
また、釈迦が只管に従うべきと言っているのは「仏」や「仏の教え」についてであり、決して「間違った教え」にまで盲目的に従えとは言ってはいません。
「仏の智慧(悟り、妙法の蓮華の教え)」が「衆生を仏にする事それ自体」というのは何とも曖昧に思えますが、
「仏の智慧」「悟り」「妙法の蓮華の教え」が「特定の具体的なる教え」であればそれを知りさえすれば別にいちいち人に教えを説いて導いたり修行したりしなくても「仏となれる」という事になる為、
やはり「仏の教え」「悟り」「妙法の蓮華の教え」は、やはり特定の具体的なる教えでは無い事になります。
日蓮には処刑されそうになった所、処刑人の刀が「光り物」によって折れ(この「光り物」とは雷とも言われている)処刑が取りやめになって死を免れた、「竜の口の法難」という奇跡的なエピソードがあり、
このエピソード等を以って日蓮には仏の加護があるとでも信じている方もおられるかと存じますが、
例えば大阪で児童8人を殺傷した宅間守にも飛び降り自殺しようとして重態になりながらも奇跡的に生き延びるような出来事が起こっており、
またヒトラーも第一次大戦において特に死亡率が高かったとされる情報を伝える役に就いて何度も死地に赴きながらも、時に自らを導く「声」を聞いて死を回避する事などさえも起こり奇跡的に生還しつづけ、
実際にヒトラーは第一次大戦の際に多くの武勲を立てて不死身の男と称えられていたように、
他にも殺人鬼をはじめとした多くの悪党が九死に一生を得たり、あるいはその悪事が奇跡的に露見せずに済みその後も悪事を続けたりといった事は古今東西に数多く存在しており、
奇跡的な出来事があったとしても、それが「仏」や「神」の力によるものとは限りません。