てすや (52)

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18 - だれとは言わんが (sage) 2017/09/24(日) 00:53:03 ID:yyIgG6Ps

浄土宗、及び浄土真宗をそれぞれ日本で広めた法然、及び親鸞については、どうやら南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われるというような事は言っていないようです。
しかし親鸞については心の中で(心の底から)南無阿弥陀仏と念じただけでも救われるというような事も言っていたそうであり、
またさほど深く考えない信者などは念仏を唱えさえすればいいという風に漠然と思っていた者も多かったと思われ、
例えば戦国時代、各地で仏教の僧達が武装して独自の勢力を築いていましたが、
仏典の教えからいかなる苦境にあれど殺生からは最も遠ざかるべき仏教徒達が、自ら武装し殺生を行うようになった事について、
少なくとも本願寺などの浄土真宗などの勢力については「どれだけ殺しても死ぬ直前に念仏さえ唱え(念じ)れば救われる」という、
念仏の簡単さ気軽さから出た考えがそれを後押ししていた面はあったように思われます。
戦国時代の僧達の武装化については、人の死を悼む気持ちに付け込んで高額を要求する葬式商売をはじめ、
ただでさえ無知蒙昧な信者達からの尊敬と布施によって豊かな生活が容易に出来る為に、本来質素に生き欲を離れて生きるべき所を贅を極め欲のままに生きているような、
狸霊の容器と成り果てた生臭い狸坊主ばかりが量産されがちな所を、
獣の性質そのままに仏教において最も忌むべき殺生を自ら行い生臭坊主から血生臭坊主にまで堕ちていたのですから、
そりゃ信長や秀吉に焼き払われても仕方が無いと言えたのかも知れません。

辛辣な事を書きましたが私は念仏自体を否定するつもりはありません。
題目などとは違い念仏にはある程度力はあると思っていますし、
題目などとは違い念仏に関しては何もしないよりはまだ唱えたり念じた方がいいとも思っています。