129 - 風吹けば名無し 2017/03/07(火) 22:14:03.64 ID:4AokEbLn0
ここに愚者と智者のふたりがいたと想定しよう。愚者は例えばここで則本を一回使う。それを投げさせ、そのおいしさを味わったとしよう。次の日も二回三回四回と投げさせ飽きるまで使う。
そして則本は打たれる。もはやキレはない。次は松井にしよう。彼は松井を食べる。飽きるまで投げさせる。 次は増井だ。増井でサヨナラ負けをする。
ここで、智者だったらどういうプロセスを辿るのかね。その人は、則本が打たれたとき「なぜ則本は打たれたんだろう?」と考える。そして「則本を中継ぎで使うときは、一イニングしか持たないのではないか」っという考えに至るだろうね。
そして松井を投げさせるとき、「その時の調子の変化をできるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。そして、投球を見ながら、球数を増やしていきながら球の変化を理解していく。
そうするとね則本と松井、これくらいで打たれる経験はすんでしまうわけだ。打たれる経験がすんでしまうから次の増井までいかない。いく必要がないんだ。