【大幸薬品】雑談★17【下痢弁担当】 (1000)

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19 - ゆぱー! 2015/12/23(水) 01:01:53 ID:q1YORrBw

1988年10月頃、富士宮市人穴に総本部道場建設[11]。
この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、健康面に不安を感じ始め「自分が死んだら、教団をどうするのか」あるいは「私は長くてあと5年だ」「死にたい」などと洩らすようになる。
肝硬変や肝臓がんだと大騒ぎになったりもする。高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、新実智光は「お供します」、
早川紀代秀は「困ります」、上祐史浩は「残って救済活動をします」と答え、妻の松本知子は「勝手にすれば」と言ったという[5]。
3女松本麗華は、この頃から麻原の死への願望は強まったと考えている。
解脱者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、
弟子の修業が思うように進まず、人間界が救われないという否定的な認識が麻原彰晃に芽生えたと見ている[5]。