【唐澤貴洋殺す】雑談★19【ブロック魔】【なんちゃって人権派弁護士】 (1001)

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980 - 一般カタルーニャ人 2021/08/09(月) 01:18:07.32 ID:1kh2qq630

豚澤が言J過ぎるので推敲しました

「主人公は個人的な問題を抱えているが世界に危機が起こることでその危機に自ら立ち向かう。危機に関与していくことで自分自身の問題も自ずと解決できる。」
これが物語の作りとしてよく見られる構造の一つである。
時に主人公の成長の物語として描くことによって世界の問題と個人的な問題の解決を一緒に描こうとすることができるのである。
個人的な成長の問題を抱えている者は世界の問題の解決に参画できる可能性はとても低く現実的ではないように思われる。
そのため、その者はファンタジーとして受け止めるのかもしれないし、ファンタジーとして受け入れるに他にないのかもしれない。
個人的な問題は、自分の生活への姿勢を変えたり、経済的な状況を変えたり、人間関係が変わったり、体調が良くなったりなど、個人の生活環境を構成する細かな諸問題が改善しない限り、解決することはない。
個人的な問題を直視し、解決に向かおうとすることは、時に自己否定を余儀なくされ、精神的ストレスが発生することがある。
そのため時に人は直視できずに逃げ出してしまうかもしれない。
何かに没頭することでその問題を解決できるのなら良い逃げ方と言えるのかもしれない。
しかし私は時間だけがただ過ぎ去って問題がよい一層深刻化してしまう悪い逃げ方になることの方が多いように感じてならない。