高橋嘉之★2【ゆげ塾師引退】【動き出した闇の勢力】 (1001)

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948 - 一般カタルーニャ人 (sage) 2021/06/14(月) 22:31:51.46 ID:vfPWL8mh0

ぶっちゃけ
もう恒心界隈でも賞味期限切れ(55)になった無職男やしな
無益な訴訟遊びでSMDさんの良いカモにされた人生でした でも誰がいちばん悪かったのかな?
敏美さんの鬼瓦式恐育が悪かった?
收子ママンが思い付いた付け焼刃式中学受験挑戦で精神がやられた?

「遊ぼう」っていうと
「島田」っていう。
「馬鹿」っていうと
「島田」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「島田」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「島田」っていう。
島田さんでしょうか。
いいえ、高橋嘉之です。

  いいえ、誰でも。

 * * * * *

512篇ある金子みすゞの詩を俯瞰(ふかん)した時、全篇を優しく包み込むような作品がこの『こだまでしょうか』ですと、私はずっと言い続けてきました。

それだけに今回の東日本大震災を受けて、CMでこの詩が流れたと聞いた時は本当に驚きました。

この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。

よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞは言っているのです。

この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと考えたのではないでしょうか。

一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる一つのきっかけを与えたのが『こだまでしょうか』の詩だと思います。

こだまというのは、山から投げ掛けた言葉がそのまま返ってくるわけですから、

大自然の懐に包まれたような安心感を生み出し、私たちの心を優しくしてくれるのです。

この詩に触れ、心の内で何度もこだましているうちに、どこか優しくなれた自分を見つけることができたのでしょう。

募金活動がこれほどの大きなうねりとなり、また多くの日本人がボランティアとして被災地へと向かう後押しをしてくれたのが、「こだまでしょうか」という言葉だったのだと思います。

言葉にはこれほどの力があるということを、私は改めて教えられた気がしました。