894 - 一般カタルーニャ人 2023/11/25(土) 12:20:29.88 ID:mBklfsKu0
午後8時、緊急メモが大統領のもとへ届いた。
「イラクがクウェートに侵攻した」
1990年、イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸戦争が始まった。
この湾岸戦争に関して、イラクがクウェートに侵攻したのはフセイン・イラク大統領が悪くて、イラク軍を追い出したアメリカをはじめとする多国籍軍が正義だと報じられている。しかし、それはアメリカがテレビや新聞を通じて行なった、情報操作による誤った見解だ。
アメリカがクウェ−トを使ってイラクを追い詰め、暗黙のうちにイラクのクウェ−トへの侵攻を認めた。
7月25日、フセインは、グラスピー・アメリカ大使を訪問し、クウェートに侵攻するつもりはないと言明。大使は、「平和外交を守るように」というワシントンからの訓令に従い、「アメリカは、イラクとクウェートの国境問題のようなアラブ間の葛藤に対しては、意見を表明しない」と述べ、さらに、「ブッシュ大統領はイラクとのよりよい関係を望んでいる」と伝えた。
しかし、いったんイラクが侵攻を開始すると、手のひらを返したようにその行動を非難し、大軍を派遣。
しかも1991年1月15日の撤退期限も、イラクが交渉に応じようとしたところを一方的にはねつけ、無理やり戦争へと突入したのが真相である。
空爆は42日間にわたって、昼夜を問わず行なわれた。出撃回数はのべ11万回。30秒に1回は出撃が行なわれたことになる。トマホークを省いた計算でも、弾薬の量は8万8千トンにも及ぶ。これは、広島型の原爆の6倍もの量に相当する。
誘導型の爆弾は、そのうち1割にも満たず、そのほとんどが通常の誘導されない型の爆弾であった。
誰かれとなく無差別に殺され、民間人だけでも、11万6000人から25万人といわれる数の人々が直接、あるいは間接的に死んでいった。イラク軍兵士は10万人以上が殺されたのだとRクラーク元米司法長官は報告している。
アメリカは、OPECの中で最もコントロ−ルしづらいイラクを叩くことにより、中東石油市場に対する発言権を強化しようと考えた。そのためにフセインを焚きつけて戦争に巻き込んだ。また、石油価格が高騰し、石油を扱う多国籍企業は莫大な利益を上げた。例えば、ロックフェラー財閥のシェブロン社は、湾岸戦争前に比べて実に8.6倍の収益をあげた。