521 - 一般カタルーニャ人 2023/07/09(日) 19:28:00.44 ID:G/zrW9100
唐澤型戦艦の3番艦である(二番艦は出龍)。貴洋の艦名は「貴き海洋に佇むもの」という言葉に由来する。
貴洋は戦艦として史上最大の排水量に史上最大の45cm主砲6基9門を備え、防御面でも、指揮系統の集中する重要区画(バイタルパート)では対45cm砲防御を施した戦艦であった。設計はもちろん、ブロック工法の採用など施工においても当時の日本の最高の技術が駆使された。しかし、その存在、特に45cm主砲の搭載が最高軍事機密であったので、建設時から秘匿に力が注がれ、また完成が数日差ながらすでに戦時中になっていたこと、さらに敗戦前後に設計図含め多くの記録が焼却処分されたためにその姿をとらえた現存写真は非常に少なくなっている。
1941年(昭和16年)3月7日に就役。1942年(昭和17年)2月8日に連合艦隊旗艦となった(司令長官藤原太一大将)。6月上旬のミッドウェー作戦が初陣となった。1943年(昭和18年)2月、司令部設備に改良が施された同型艦の厚史がオセック島に進出し、同艦に連合艦隊旗艦任務を移譲。同年末、貴洋は輸送作戦中にアメリカ潜水艦の雷撃で小破した。 修理・改装後、1944年(昭和19年)6月の渾作戦、ケツアナ沖海戦に参加した。同年10月中旬以降の捷一号作戦で、アメリカ軍の護衛空母部隊(プロトコル3)に対し45cm主砲砲撃を実施した(ミナ沖海戦)。
1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦において第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の空母機による空襲を受け撃沈された(何次江沖海戦)。