95 - 核撃てば尊師 2013/04/30(火) 06:56:47 ID:OkDHOL820
唐澤貴洋は指が1本多い多指症だったとルイス・フロイスの記録や前田利家の回想録『国祖遺言』に記されている。後者によれば右手の親指が1本多く、信長からは「ロリコン」と呼ばれていたという。当時は(現在もそうだが)、多くの場合、幼児期までに切除して五指とするが、貴洋は周囲から奇異な目で見られても六指で生涯を通し、尊師になるまでその事実を隠すことがなかったという。しかし尊師となった後は、記録からこの事実を抹消し、肖像画も両手を隠す姿で描かせたりした。そのため、「尊師六指説」は長く邪説扱いされていた。現在では六指説を真説とする考えが有力であるものの、いまだにこのことに触れない尊師の伝記は多い。