なぜ唐澤貴洋掲示板の別称がカラケーになったのかを考えるスレ (19)

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1 - 核撃てば尊師 2013/04/28(日) 20:57:28 ID:8JaoA9kY0

当職の持論ですが

「唐澤貴洋掲示板」の略称である「カラケー」の語源となったのは、言うまでもなく「ガラケー」でしょう。
しかし、はたしてその語感の良さだけで「カラケー」と呼ばれるようになったのでしょうか。

まず「ガラケー」についてですが、略称を戻すと「ガラパゴス携帯」です。
ガラパゴス、携帯というのはもちろん「ガラパゴス諸島」「携帯電話」のことです。

ガラパゴス諸島には、例えばフィンチやイグアナなどが棲んでいますが、付近の海流などの影響もあって、大陸とはあまり自由に行き来できません。また、島と島の間も同じです。
よってガラパゴス諸島では同じ種でも島ごとに独自の進化を遂げ、もはや別種となってしまいました。

話を携帯電話に移しますが、日本は優れた携帯電話の技術を有しており、国民一人当たりの保有台数も相当なものです。
日本独自の携帯機能を一般的に「ガラケー機能」と言いますが、「ガラケー機能」というのは ワンセグ、おサイフケータイ、赤外線通信などといった機能です。
しかし日本で使われている携帯電話や機能は世界的な主流とは違うものです。つまり日本の携帯電話は独自に発展・進化したものといえます。

これは言い換えますと、日本の携帯はたとえ技術的に優れていても、海外では通用しないということになります。
つまり日本の携帯は世界から「孤立」した状態というわけです。
逆に言うと日本においては日本のメーカー以外、ほとんど大きくサービスを展開することができていません。

このように世界的な流れから取り残され、別の進化を遂げることを「ガラパゴス化」「ガラパゴス状態」などといいます。
その代表例は携帯電話ですが、他にもいくつかの分野(たとえば地デジ)で同様の現象が見られ、これらもまた「ガラパゴス化」と呼ばれています。

ここで話は「カラケー」に戻りますが、前述の話を「カラケー」に当てはめてみるといかがでしょう。
ただ単に語感の良さを感じるだけではなく、「繋がりはあるものの なんJから独立した」「独自の進化を遂げた」「別の文化を持った掲示板」
「あらゆる面において、カラケー内で通用するものは他所では通用しない」などと捉えられないでしょうか。

他所の人々にとっては 我々がカラケーをこよなく愛し、ユーザのひとりとして使用する目的が何なのか全く理解できないでしょう。
つまり カラケーにおいては、カラケー以外では、カラケーと同じようなサービスを展開することができないのです。

紆余曲折を経て独立、そして独自に発展し、日々進化を遂げる、ガラパゴス化した掲示板。
それが「カラケー」と呼ばれるようになった謂れなのではないかと考えています。